あらゆる分野で結果が出ない、たった一つの原因

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

よく自分と向き合うということを言うけれど、この言葉は少し分かりにくい。

ということで、少し説明を加えていきたいと思います。

これまで色々な人と関わってきて、ブログ上の相談など含めると1万件以上の相談に乗ってきたことから分かったことは、

変われない人は、「自分に気づいていない状態」だということ。

自分に気づいていないとはどういうことかというと、

例えばネガティブになっているとして、自分がなぜネガティブになっているかの真の原因に気づいていないということ。

ただここで問題になるのが、真の原因には様々なケースがあって、様々なケースがあるからこそ、自分を見つめることで自分自身でその原因を見出していかないといけない。

その真の原因を見出すというのが、自分と向き合うということなわけです。

ただ、多くの変わりたいという人が何をやっているのかというと、

自分の内面と向き合う代わりに、スキルやテクニックに頼ろうとしてしまう(それらがいらないということではなくてね)。

なぜかそうなるか。

それは、そういうものを「やればいいんだ!」ということになれば、思考停止でいられるから。

向き合うことも思考することもなく、変わることができるという錯覚に陥る。

で、この「これさえやればいい」というのが私たちは大好きで、なぜ大好きかというと、それは受験の影響があると個人的に思ってます。

塾や予備校に行けば、「授業さえ受けていれば」的なことを言われるわけで、突き詰めて自分の勉強と向き合わなくても良かったし、

しかも人生全体がそれでエスカレーターのように進んでいったわけ。

受験して、就活して、あとは結婚か。

もう、そういうものを歩んでいくだけでいい。

じゃあ、わざわざ自分で思考する必要性が生まれない。

もちろん社会全体が上向きのときはそれでも良かったかもしれないけれど、今は日本は下降中で…という話につながっていく。

ただ、自分の受験のケースで言うと、環境的なこともあって「自学自習」をしていました。

すると、そもそも「何が問題なのか」ということから始まって、「どういうアプローチを取ればいいのか」「どういう選択肢があるか」「今の自分には何が必要か」ということを考え始める。

それはもちろん大変なことではあるけど、それがまさに「向き合う」ということだったわけです。

自分の限界とも向き合わされたし、何ができて何ができないかとも向き合わされた。

逆に、勉強しても上手くいかない人はなぜ上手くいかないかというと、根本的に「向き合う姿勢」が足りないから。

ある意味思考停止なわけで、自分を客観的に見れなくて、今の自分の何が問題で、何をどうやればいいのかを分析することができていない状態。

分析できないということは自分に必要なことができないということなわけで、

そうなれば、結果も出ない。

すると、自暴自棄になって、上手くいかないことを自分以外の何かのせいにしたくなってしまう。

向き合えない人はいつだって、「環境」や「他人」や自分以外の何かのせいにして、結果を手に入れることができない。

話を戻して、

向き合うということは「自分を客観視する」ということでもあります。

なぜなら、今起こっている問題をどう解決していくかを考えるのは、自分を客観視しなければできないから。

自分の内面の課題についてもそうで、自分の中で何が起こっているのか、なぜそういう感情が芽生えたのか。

その部分に気づくことができなければ、同じ思考パターン、感情パターンを繰り返し続ける。

それはつまり、外側の出来事に「いつも通りに」反応してしまうということ。

いつも通りの反応しかできないということは変わっていないということであり、成長していないということ。

人は成長すれば、同じことが起こっても、その「反応」を変化させることができる。

その反応の違いこそが、成長の証でもあるわけですよね。

そして、反応が変われば行動も変わるわけで、だからこそ現実も動いていく。

だから、大事なことは向き合うことができるということ。

で、「内面」というところにフォーカスを当てて、私自身が向き合ってきた軌跡を綴ったのが、今週末出版される新刊、

毎日15分自分と向き合えば、「欲しい結果」がついてくる

です。

『読みやすい』ということをかなり意識したので、スラスラ読めると思います。

スラスラ読めますが、随所に重要なメッセージを散りばめている、というか、全部重要なので(笑)、ぜひ読んでみてもらえればと思います。

ついに発売ということで、ドキドキしてます。笑

 

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

子供に勉強させたい母親と、ハードボイルドおやじ

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

スクリーンショット(2015-05-14 9.16.51)

「ここに、相談に乗ってくれるおじさんがいるって聞いたんだけど」

 

「マスター、そんなおじさんいたか?」

 

「さあ。先日、そんな場面を見たような気もしますが」

 

「俺か」

 

「ねえ、私の相談にも乗ってよ」

 

「いつから俺は人の相談に乗るような人間になったんだろうな」

 

「子供が勉強しないのよ」

 

「子供ってのは、遊ぶもんだろう」

 

「周りは毎日やってるっていうのに、うちの子だけ全然勉強しなくてね。困ってるのよ」

 

「なぜあんたが困るんだ?困るかどうかは子供が決めることじゃないのか?」

 

「何言っているのよ。私の子なのよ」

 

「私の子ねえ」

 

「どうしたらこの問題が解決されるのか教えて。深刻な問題なの」

 

「社交ダンスにでも行ったらどうだ?」

 

「ふざけてるの?」

 

「悪かったよ、料理教室でもいい」

 

「真面目に答えてくれない?」

 

「大真面目さ。俺以上に真面目な男はそうはいない」

 

「なぜ私が社交ダンスや料理教室に行かないといけないのよ。これは、息子の問題なのよ」

 

「子供が勉強しないことを問題だと思っている、あんたの問題じゃないのか?」

 

「私、あなたのこと好きじゃないわ」

 

「安心してくれ、俺もさ」

 

「帰る」

 

「どうぞ」

 

………

 

「やはり、ああいう親が多いのかな」

 

「おそらく」

 

「子育てっていうのは、難しそうだ」

 

「そうですね」

 

「人生の節目となる大事な場面ではしっかり向き合う。日頃は信頼して、愛を注ぐ。

それだけで上手くいきそうな気もするが、実際に親になってみると、なかなかそれも難しいんだろう」

 

「それくらい優しい言葉を、直接言うことはないのですね」

 

「いい人になりたいわけじゃない」

 

「子供について言えば、

親に従順になり、反発し、受け入れる。そのプロセスを歩むことそのものが大事なのかもしれません」

 

「もしも、そのプロセスそのものが大事なのだとすると。

あの親を問題だと思う、俺の問題か」

 

「どうでしょうか」

 

「そんな気がしてきたな」

 

「それすら、問題ではないのかもしれませんが」

 

「敵わんな。あんたには」

 

スクリーンショット(2015-05-14 9.17.51)

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

孤独を愛せると、人間関係が良くなる

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

一人でいても楽しいから、みんなでいても楽しい。そういうことがあります。

一人でいることに安心感を感じられなければ、いつも誰かと一緒にいなければならなくなってしまう。

そうすると何が起こるかというと、周囲の人に「要求すること」が増える。

自分を満たすために、他人に「変わってほしい」と思い始める。

しかし、人間には、「変わってほしい」と思われれば思われるほどに、変わりたくなくなるという不思議な法則があって。

親が子供に勉強させようとすればするほど子供は勉強しなくなるのと同じ。

他人に変化を望まれるというには、人間にとって心地の良いものではない。

そうなるとむしろ、変わりたくなくなってしまう。

話を戻して、一人でいても楽しいと思えない人は、自分を満たすために周囲に要求が増える。

要求が増えるということは、周囲に「変化」を求めるということ。

だけど、変化を求めれば求めるほどに、人は変わりたくなくなるもので。

結果、求めた要求は実現せず、実現しないから余計に要求を強くする。

すると起こるのが、争いであり諍いであり、陰口やなんやかんや。

そうなると、関係は余計に悪化していく。

というのが、人類が歩んできた定石通りのパターン。

男女の諍いも、大体このパターン通りに起こってます。

彼氏に男らしくなって欲しいなら、女は彼氏の男らしくなさを受け入れる必要がある。

男らしくなさを否定したら、余計にその男は男らしくなくなる。

子供に勉強して欲しいなら、子供が勉強しないことにOKを出す必要がある。

ほとんどの人がやっているのは「真逆」で、結局、その真逆の行動が自分や他人の首を締めているのだけど、

ほとんどの人はそのことに気づけない。

だから、苦しんで、自己嫌悪になったり、人を責めて孤立したり、人生が大変になっていく。

人が人のことをもう少し理解することができたら、

生きることはもっと楽しくなり、周囲の人間関係も良くなり、楽しくなっていくだろうなと思います。

てことで、今回はこのへんで。

 

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

書きたいのに書けないのは、なぜなのか?

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

最近は、好き勝手に文章を書きたいという気持ちが強い。

「です・ます調」ではなく、「だ・である調」で書きたいという気持ちも強い。

だけど、そうすると、文体が変わったり、いつもと違う感じになってしまうので、その理由を説明しなくてはならないなと思うのだけど、一から説明するのも面倒だなと感じてしまう。

面倒だから、書く手が止まる。でも、書きたい。その葛藤の中でモヤモヤする。

ということで、ひたすら自分が書きたいことを書いていこうと思ってます。

でないと、書けないので。

ここ最近、ブログを書くときに、書けないなと感じることが多かった。

それについても何でだろうとここのところ考えていたのだけど、

結局、内にあるものと外に出すもののギャップのせいだろうと思う。

なぜ内にあるものと外にあるものにギャップが生まれるかというと、

何かを外に出すときには、他者を意識することになるから。

読み手を意識することで、言うことをセーブしたり、書き方を気にしてしまったりする。

私など、もう7年もブログを書いてきたわけだけど、すると、自分に対するイメージが作り上げられていく。

もちろん、イメージが作られているだろうということも私の勝手なイメージなのだろうけれど、

自分で勝手に作った他者から見た自分のイメージと、自分が出していきたい世界のギャップに苦しむ。

最近は自分の中での変化が大きく、その内面の変化に伴って、外に出すもの、アウトプットも変えていきたいと思っている。

新ブログの登場と共に、文章表現として出していく世界も変わっていくことになりそう。

その前に、勇気を出して、このブログでも新しい文体に挑戦してみている。

書きながらも、まだ、どうしよう、昔のままの方がいいだろうかと思っている自分も顔を出してくる。

自分自身が過去の自分に縛られ、他者のイメージを想像してしまう自分に縛られ、でも内面や出したい世界はすでに変わってしまっていて、そのアンバランスに苦しんでしまう。

そういうことが、最近の悩みの種だった。

小説風の文章を書いてみたり、何だか最近少し変化があるな、変化というか迷いなのか、と思った人もいるかもしれない。

そう、変化であり、迷いであり、悩み。

出して行きたい世界はあるのに、過去の自分、そして、これまでの自分のイメージを保つ必要があるのではないかという考えが、邪魔をするんだ。

いきなり小説風の文章を書いて、変だと思われやしないか、などと考えてしまう。

この、過去に邪魔される、自分で作り上げた他者から見た自分のイメージが邪魔をするということは、現実世界でもある。

自信を持つ、セルフイメージを上げるということは大事なことなのに、上手くそれができない人がいる。

なぜかというと、過去の自分イメージが残っているからだし、周囲が自分をどう見ているかについてのイメージを自分自身が持っているからだ。

今まで、かわいこぶって、いい人ぶって、生きていた。

そんな人が、いきなり自信を持ち、自分を持って生き始めたら、周りはどう思うのだろうかと考えてしまう。

周りの自分に対するイメージを守ろうとしてしまう。

つまりは、周りの期待に応えようとしてしまうということ。

でも、それではいつまで経っても変われない。

ある意味、変わるということは、周囲の期待を裏切るということでもある。

しかし、周囲の期待を裏切るというのは、そう簡単にできるものではない。

最初に、「え?」と思われることになるのだが、その「え?」という一言が、思っている以上に恐ろしい。

こちらも「え?」と思われるであろうことは分かっているからだ。

そう分かりながらも一歩踏み出すというとは、なかなかできるものではない。

しかし、勇気を持って一歩を踏み出さなければ、変化を起こすことはできない。

どこか我慢しながら、居心地の悪い世界に居続けないといけなくなる。

この、「微妙に我慢しながら、だんだんと居心地の悪くなってきた今までと同じ世界に留まり続ける」というのは、よくあることだと思う。

その方が、楽だからだ。

心の中に湧いてくるモヤモヤを無理に打ち消して、これまでの世界の良いところを無理矢理でっちあげ、自分を説得する。

自分を説得する作業に入っている時点で、大体、もう変化すべきときなんだ。

だけど、変化は怖いから、恐ろしいから、「え?」と言われるのが嫌だから、

無理やり自分を説得して、自分に嘘をつきながら、モヤモヤした毎日を選択しているにすぎない。

違うだろうか。

変化するというのは気まずいものだし、こちらとしても違和感があるもの。

でも、その違和感を乗り越えた先に、自分が行きたい、生きたい、世界が待っているもの。

ということで、

いきなり文体が変わって、「え?」と思われることにビビりながら、この文章を書いてみました。

小説風の文章をアップするときにも、内心ビビっていた。

ちょっとしたことだと思うかもしれないけれど、案外、勇気の必要なこと。

変化することについての参考にしてもらえれば。

 

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

制約がある中で孤軍奮闘する男

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

まずお知らせ。

告知していた出版記念トークライブですが、申し込み開始から数時間で満席に。

あまりにも早く埋まってしまったので、追加の開催も考えています。

詳細をお待ちください。

 

今日は、東京からの帰りの新幹線の中で、映画「マネーボール」を観ていました。

スクリーンショット(2015-05-10 20.54.20)

この映画は好きな映画の一つで、観るのは3回目。

当時弱小チームだったアスレチックスという野球チームを任されたブラピ演じるGMのビリー・ビーン。

有力な選手は全員お金のあるチームに獲られていき、戦力は激減。

制約多きチームで優勝するために、ビーンが孤軍奮闘する姿が描かれています。

まず、この映画を観ていて感じることは、私たちの人生でも、

完璧な状態で闘えることなどない

ということ。

何かしら欠けているものがあったり、制約があるものです。

何か挑戦しようとしても、お金がない、時間がない、家族が反対している、能力が足りない、などなど、必ず制約が出て来ます。

映画の場合は、「お金」が最大の制約になっていました。

最高の選手を育てても、結局、お金がないので、強くてお金のあるチームに選手が獲られていくのです。

しかし、その制約に文句を言っても始まりません。

その制約の中で闘うしかないのです。

その制約に文句を言うのは楽だし、その制約の「せい」で自分は上手くいかないのだ、と思うことも楽。

つまり、「被害者」の立場に安住するのは、本当に楽なことなのです。

しかし、その代わり、結果を出すことはできません。

話を戻して、

お金のないアスレチックスは、普通のやり方では勝つことができません。

だから、ビーンは、ひたすら頭を使って、自分で考えて、優秀なパートナーを引き抜いて、戦略を練ります。

しかし、チームには、「古いやり方」にこだわる人たちばかり。

スクリーンショット(2015-05-10 20.56.32)

ビーンのやり方は、全く支持されず、周りは敵だらけに。

「お前のやり方は間違っている。今までのやり方と違う」

古く、全く通用しない考えに固執する人たち。

周囲は、とにかく反対するし、非難するし、攻撃します。

しかし、ビーンは、理解が得られないながらも自分を曲げることなく、孤軍奮闘。

誰にも相談できない孤独な闘いを強いられるのです。

娘にも、「パパ、大丈夫なの?」と聞かれるほど、周囲の反対の声は大きくなっていく。

それでも、「大丈夫に決まっている」と、自分を曲げません。

不安や苛立ち、理解されないことへの憤り。

そういうものも、全て一人で引き受けなければならない。

誰にも、ビーンの孤独、ビーンのつらさは分からない。

周りは、非難し、反対し、上手くいかなければビーンのせいにしておけばいい。

すごく、楽な立場です。

人間には、2種類の人がいると思います。

責任を引き受ける人と、責任をなすりつける人。

いつだって、結果を出す人、人生を変える人は、責任を引き受ける人なのだろうと思います。

人生には制約が付き物で、私たちはその中で生きていく。

制約に文句を言ったって、仕方がない。

そして、自分で自分の人生の結果を引き受けること。

本当に、この映画から学ぶことは多いな、と。

結局、アスレチックスはどうなったのか?

それは、映画を観てもらえればと思います。

スクリーンショット(2015-05-10 21.10.53)

 

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

弱虫でも人生は変えられる

池田です。

では、告知していた通り、今から
出版記念トークライブの申し込みを
受付開始します!

3作目出版記念トークライブ詳細はこちら

(緑色の文字「続きを読む」から
詳細も確認できます)

出版記念のトークライブということで、
お祝いに来てくれると嬉しいですし、

参加者にとって来る価値のある、

「楽しくて深い」

時間になると思います。

募集人数に達し次第、募集は終了
するので、お早めにお申し込みく
ださい。

では、本題へ。

私は昔、弱虫でした。

言いたいことを言えなかったし、

何か言われるとすぐに傷ついて
ヘコんで、

何かミスをしたら布団の中まで
引きずって、一人メソメソする。

得意技は愛想笑いだったし、

いつもヘコヘコしていて、
自分に自信なんてなかった。

好きな女の子の前では緊張して
オドオドしていたし、

年上の人が苦手で、先輩とも
上手く接することができなくて
苦しんで。

つまり一言で言えば、

弱虫。

私は、何とかその弱虫な自分を
変えたいと思いました。

もっと自分に自信を持ちたかったし、

好きな女の子の前で堂々としていたかったし、

何事にも動じない自分になりたい
と、切に思いました。

そこから、己の弱さと向き合い、
己の怖れと向き合い始めて。

その結果、たくさんのことに気づき、
気づけば気づくほどに、

私は変わっていくことができました。

弱虫だった私は、アルバイトを
しながら京都大学を目指し、

何とか合格。

その後、ブログを書き始め、様々経験を
積み、本を出版。

多くの方のおかげで、

6万部を越えるベストセラーとなりました。

私の力などほとんど関係なく、

周囲の力のおかげで、たくさんの
方に読んでいただくことができました。

そして、間もなく3冊目が発売。

4冊目の本の執筆にも取りかかろうと
しています。

今回発売される新刊には、そんな
弱かった私の赤裸裸な体験、

抱えてきた葛藤を惜しみなく
書き綴っています。

実は、書きながら、涙を流した
こともありました。

書いていて、

自分は自分を、諦めなかったんだな

ということ、そして、

多くの人の支えがあって、今自分はここにいる

ということを、深く実感したから。

私は不完全な人間で、間違いも
犯せば失敗もします。

本当に、ごく普通の男です。

ただ、ごく普通の男でも、自分
のことを諦めず、

真摯に自分と向き合う姿勢さえあれば、

人生を変えることはできるのだと思います。

今回の新刊を通じて、そんなメッセージ
を届けることができれば嬉しいです。

そして、5月23日(土)には、
ライブで、直接メッセージを届
けます。

おしゃれなカフェで行う、楽しくて
深いトークライブ。

ぜひ、お越しくださいね。

3作目出版記念トークライブ詳細はこちら

トークライブにて、お会いできる
ことを楽しみにしています。

失恋した若造と、ハードボイルドおやじ

 

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

今日も、物語風に書いていきます。最近ハマってます。

何か、こっちの方が伝えやすい部分もあって、書いていて何か楽しいので。笑

今回は、ハードボイルドおやじと、若造に登場してもらいましょう。

バーにて、若造がおやじに相談している感じで。

スクリーンショット(2015-05-07 14.58.34)

 

「今、落ち込んでるんですよ」

「そうか」

「そうかって…。もう少し気遣ってくれないんですか」

「生きてれば、落ち込むことなんていくらでもある。いちいち騒ぐようなことでもないな」

「そうかもしれないですけど、失恋したんですよ」

「へえ。いいね」

「いいねって…。失恋の痛みっていうのは、つらいもんですよ」

「まあ、そうだろうな。でも、本気で好きだったのか?」

「そりゃあ、本気ですよ」

「いつ出会った?」

「1ヶ月前くらいです」

「出会ってから失恋までが早すぎるだろう。本当に本気だったのか」

「まあ、いいじゃないですか。もう傷つくのは嫌なんで、恋愛はこりごりですね」

「バカかお前は」

「バカって…」

「好きになった女全員に好かれるとでも思ってるのか?」

「いや、そんなことは思ってないですけど…」

「嘘つけ。思っているだろう。思っているからそこまで傷ついてるんだよ。とんだうぬぼれ野郎だ、お前は」

「いや…」

「自分がうぬぼれ野郎だと気づいていないくらい、うぬぼれ野郎なんだよ」

「きついですね、今日は」

「誰だって、失恋くらいする。自分だけが特別なわけじゃない」

「確かに、そうですね」

「落ち込むのはいい。

だが、1ヶ月前に好きになった女に振られたくらいで、いちいち恋愛を卒業しようとするな。

好きになった女は、お前のママじゃないんだよ。

まだお前は、承認してくれるママを探しているガキだな」

「そんなこと言われたことないです」

「そのセリフ自体に虫酸が走る。今日は帰れ」

「…」

「早く帰れ」

「分かりましたよ」

「ビールをくれないか」

「あれだけ言うのは、珍しいですね」

「言い過ぎたかな」

「いや。いい薬になったんじゃないですか」

「言った後は、いつも罪悪感に苛まれる」

「分かります」

「言うべきだったのか、言わない方が良かったのか。考えても分からないな」

「何かを言う人というのは、その苦悩と共に生きているのかもしれません」

「言わない方が楽だが、言ってしまう。俺もまだ、ガキだということか」

「なかなか、魅力的なガキだと思いますが」

「褒め言葉と受け取っておくよ。もう一杯、ビールをくれ」

「どうぞ」

「それにしても、最近は言い過ぎる」

スクリーンショット(2015-05-07 15.04.38)

 

 

出版記念トークライブお申し込みは、明日の19時から受け付けます。

人数に限りがあるので、ご注意ください。

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

自分の好きなことを知る技術

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

まずお知らせ。

出版記念トークライブについてですが、明後日金曜日の19時から募集を開始します。

今回、カフェでの開催ということで、そこまで多くの人数を募集するわけではありません。

人数に達し次第募集を締め切るので、ご注意ください。

 

では、本題へ。

大体、何かを続けようと思えば、好きなことや、自分がしたいと思うことでないと続かないもの。

続かないし、一番の問題は、「深めよう」と思えないことです。

好きなこと、興味のあることであれば、自然に「深く知りたい」という欲求が生まれるけれど、

嫌々やっている場合、「まあ、このくらいでいいだろう」という気持ちが湧いてくる。

そうすると、突き抜けることができない。

だから、結局、その分野で成果を上げることが難しくなるのです。

では、好きなこととは何だ、という問いがここで出てくるのですが、

自分には好きなことがないとか、分からないとかいう場合、

自分の好きなことを認識できていなかったり、言語化できていないだけであるケースがほとんどです。

私の例で考えてみましょう。

私の場合、何が好きかというと、よくよく考えてみると昔から好きだったのが、

 

・なぜ、そうなるのかを理解すること(洞察すること)

・それを誰にでも分かりやすい形で言語化すること

 

が、まずあります。

スクリーンショット(2015-05-06 10.33.31)

というのは、昔、高校で授業を受けていたとき、

「分かりにくいな、おい」

と思っていたんですね。

参考書で勉強していたときも、

「ここの説明なかったら、分かりにくいでしょ。何でここの説明しないのかなあ」

と思ったり。

誰かの講演やセミナーを聴いているときも、

「そこの説明なかったら、○○という前提知識を持っていない人からすれば分かりにくいわけだから、そこの説明を入れてから話さないとダメでしょ」

なんて生意気にも思っていて。

いつも、「自分だったらもっと分かりやすく説明することができる」と思っていたように思います。

で、実際、塾で国語を教えていたときは、言語化の力を生かして授業をしていて、

そうしたら、その塾はテレビCMとかもやるような塾だったのですが、2年目でベテラン講師全員ごぼう抜きして、その塾でトップの講師になっていたんですね(←自慢。笑)。

 

ただ、昔はそういったことが自分の好きなことだとは気づけませんでした。

というのも、「好きなこと」というとき、何となくそこに予め「イメージ」があったんですよね。

好きなことって、例えばこういうものだ、みたいな。

そこに合致していないことは好きなことだとは認められない、という意識があった。

だって、「あなたの好きなことは何ですか?」と聞かれたとき、

 

「そうですね、洞察と言語化ですね」

 

と言われたら、ポカンとしませんか?笑

何かよく分からないじゃないですか。

でも、本当に好きなことって、他人からすればよく分からないものであるケースも多いと思うのです。

で、私たちは人から嫌われたくないから、ワケの分からないことを好きでいてはダメだ、と思っています。

だから、嫌われたくないって気持ちが強すぎるのはヤバイんですよね。

そこに「認められたい」とか入ってくると、

人から認められるけど実は好きでもないことを無理にやろうとして、

でも実際あまり行動できなくて、夢はあるけど行動できてません、自己嫌悪なう、という状態になるわけです。

 

好きなことって、大体すでにやっていることの中にあります。

普段自然にやっていることは何か。考えてしまっていることは何か。心惹かれているものは何か。

もしくは、不満に思うことは何か。

私の場合は、「もっと分かりやすく説明できるだろう」とか「そこは問題の核心、本質ではないだろう」という不満がいつもありました。

教科書的な説明、とか嫌いなんですよね。分かりにくいから。

何か、良い事だけ言っていたり書いたりしていて、何となく分かった気になるけど、実際分かんないとか。そういうの嫌い。

自分を好きになりましょう!好きになることが大事!

いや、そりゃ、そうですよ。でも、なれないから困っているんです。どうやったらなれるんですか?その具体的な方法を、あらゆるケースにおいて、論理的に、説明して欲しい。

と、どうしても思ってしまう。

でも、それはそこに強い関心があるということでもあって、

不満を感じるということは、逆に言えば、そこに強い欲求が隠れているということでもあります。

「もっとこうしたらいいのに!」

そう思うことが、あなたの好きなことであり、あなたの才能の在処でもあるのです。

長くなったので、今回はこのへんで。

出版記念トークライブの募集は、金曜日の19時からになります。

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

弱気な女性に強気な女性の話

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

今日の晩飯を何にしようか考えながら、デパ地下をウロウロとしていたときのこと。

「北海道フェア」なるものを発見。海鮮のお弁当が並び、こりゃ美味そうだということで、今日の晩飯が決定しました。

店はかなりの人気で、混雑している。

用意してあるものだけでは足りず、どんどん新しいお弁当を作っていかなくてはならず、

店内も慌ただしい感じになっていました。

そこに、一人の女性がいました。

小柄で、気が弱そうで、しかし、真面目に仕事はこなそうとするタイプの方。

真面目にやるのだけど、時々ミスもしてしまって、「すいません!」と本当に申し訳なさそうに謝る方。

その人の隣には、気が強そうな女性。

目が怖い。

「こりゃあ、この人に怒られたりして大変なんだろうな…」

ということを一目見て感じたのですが、案の上、精神的立場は、真面目な方が下。

真面目な女性は緊張していて表情も固い。

ミスして怒られるんじゃないかと、怯えているのでしょう。

スクリーンショット(2015-05-04 19.26.13)

そして、もう一人の人は、真面目な女性に強く言っても言い返して来ないということを分かっている。

だから、他の人に対する態度とは、明らかに違う。

強気。

この構図というのは、人間社会ではよくあります。

私も昔、真面目で、ミスもよくして、強く言われる側の人間でした。

精神的に弱くて、気にしいで、言いたいことも言えない。

そんな男だったので、よく、強気な人に強く言われて落ち込んでいました。

それが嫌だったので、自分と向き合い、自分のメンタルやマインドを変えていったのですが、

その結果、もう全くそんなことでは悩まなくなってしまいました。

人は変われるもんだと、つくづく感じます。

 

話を戻して、

強気な人が弱気な人に、弱気であることを見抜いた上で強気に接している様子。

それは、見ていて気持ちの良いものではありませんでした。

なので、強気な人に、なぜか「にらみ」をきかせながら買い物を。笑

「そういうのを弱い者いじめって言うんじゃないのかい?」という気持ちを、にらみに込めておきました。

 

ただ、私の場合も、「言われる側」だったわけですが、気づいたことは、

自分の態度で相手は変わるということ。

自分が自分と向き合う中で、自分に対する自信を得ていくと、なぜか周囲も変わっていく。

やっぱり大事なことは、

自分が自分の価値を信じること。

自分を信じて、自分を犠牲にしたり、自分を卑下したり、自分を下げてまで好かれようとか嫌われまいとする必要のないくらい、

自分自身の価値を知ること。

それがやっぱり根本だな、と思った次第です。

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。