カテゴリー別アーカイブ: 京大への道

京大合格体験記

私は4年以上前からブログを書き続けているのですが、一番最初に書いたのが、「京大合格体験記」です。

そしてこの体験記は、当時からずっと反響をいただいている記事でもあります。

正直、今見ると色々と恥ずかしい部分もあります。

というのは、4年前から書き続ける中で文章のスタイルとかも変わってきているから。

でも、この体験記を書き直そうとは思わないんですね。

何というか、あの頃の気持ちが表れていて、これはこれでいいんじゃないかと思っています。

最近このブログを知ってくださった方はこの体験記の存在を知らないかと思うので、紹介します。

私の中学時代から、京都大学に合格するまでの軌跡です。

池田潤の京大合格体験記

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高校時代・体験記番外編②~勉強以外の大切なもの~

この記事は3話完結です。最初からお読み下さい。

第一話
http://ameblo.jp/wish-for-children/entry-10274609822.html

団長に就任後、団のメンバーで集まることになりました。

そこで分かった事実。

黄団めっちゃ少ない!!!

詳しい人数は覚えていませんが、他の団に比べて圧倒的に人数が少なく、男子は10人に満たない人数でした。

団は人数が多ければ多いほど有利です。演技に迫力が出て、審査員を圧倒できます。

こりゃ大変だ…。

まず、そう思いました。

とはいえ、準備を始めなければなりません。演技で使う曲などを女子が主導になって決めていきます。

しかし、私の頭は別のところにありました。

「このままじゃ戦えない。なんとかしてメンバーを集めなければならない。特に男子だ…。女の子だけだと、どうしても迫力が出なくなってしまう。男子の力強さも必要なんだ。」


みなが演技のことを話しあっている間、同じ団の男子に片っ端から声をかけました。

「団に入らないか?高校生活最後のイベントじゃないか。」

「えっ!?無理だよそんなの!っていうか団長やるの?京大目指してるんだよね。…大丈夫なの?」

50人に声をかければ、50人からこの返事がかえってきました。

これは仕方のないことでしょう。私自身も悩みましたし、その選択は何も間違ってはいないと思います。

だから、私も「そうか、分かった。ありがとう。」としか言いませんでした。

団に入ることを強制することなど出来ないのです。

とはいえ、私の心は複雑でした。

確かに、団をやっている人は少数派でしたが、「行事と勉強を両立させてやる!」という強い気持ちを持った男子がもっといてくれると思っていたからです。

とにかく、3年の男子の勧誘は保留し、1・2年の勧誘を始めました。団長は各教室を回って、1・2年生に声をかけます。

ここでも、男子の目は厳しいものでした。クラブから参加を禁止されている人が多いのですが、3年になって団に参加している私に対して、

「この人3年なのに、勉強しなくて大丈夫なのかな…」という視線で私を見てくるのです。

1・2年生も、男子は入ってくれませんでした。一人も入ってくれませんでした。

女子はかなりの人数が入ってくれたのですが、それでも人数が足りない。

黄団は、4つの団で最も地味な団になりかけていました。

団の練習は夏休みからスタートします。秋にある体育大会に向けて、みなでダンスの練習をします。

女子の主導によって練習は進められ、黄団は優秀な女子がたくさんいたので、ダンスそれ自体は全く問題ありませんでした。

黄団のコンセプトはチアリーダー。

これも女子が考えたものです。最初は男子が難色を示してしたのですが、チアとはいえ、男子にも踊れる普通のダンスだったので、練習をはじめてからは文句を言う者もいなくなりました。

しかし、チアには、リフトとというものがあります。

人を肩の上にのせたり、ジャンプしたりする、かなりアクロバティックな技です。

これは危険すぎて女子には出来ません。しかし、男子は数が足りない。

演技の練習はそのペースを急速に落としました。リフトが出来ないことには、練習が進まない。

このときすでに、夏休みも終わり、本番の日が近づいていました。

時間的余裕はありません。

団の空気は次第に悪くなっていく。

しかし、それでも中心となってくれている女の子たちは懸命になってダンスを一年生に教え、改良し、そして何より私を頼ってくれていました。


何度も、

「団長になってくれてありがとね。勉強大丈夫?たまには練習サボって勉強してもいいんだよ~。みんなには内緒にしとくし」

などと言ってくれました。

「何とかしなければならない。こんなに女の子たちが頑張ってくれている。自分を頼ってくれている。この状況を変えられなければ、団長をやってる意味なんてない。男じゃない。」


そう思いました。

私は、ある決心をして、副団長である女の子のところに行きました。

「俺、話すよ。」

「何を?」

同じ団の男子全員に向かって、団に入ってくれるよう頼むんだ。」

私は各クラスの先生に許可をいただいて、クラスの全員に向かって、語りかけました。

「確かに、団に入れば、勉強する時間は少なくなるかもしれない。受験も近いから、勉強に集中したいみんなの気持ちは痛い程分かる。俺だってそうだよ。



でも、これが最後なんだ。高校時代、本当に熱くなれるものってもうこれしかないんだよ。



みんなだって心の中では、団に入って、思いっきり体育大会を楽しみたいと思っているんじゃないのか?



勉強を理由にして、その自分の気持ちから逃げているんじゃないのか?





女の子たちが必死になって団を盛り上げようとしている。優勝したい、って心の底から願って、毎日練習に励んでる。




それを見て何とも思わないのか?




助けを必要としている人がいる、そして、自分の力を少し出せば助けてあげられる。




そんな状況のときに、みんなは黙って見ているだけなのか?




誰も一歩を踏み出そうとはしないのか!」



心からの叫びでした。これで誰も入ってくれなければ、もうあきらめるつもりでした。

翌日の練習。

何やら、いつもの練習場が騒がしい。

「あっ!団長!遅い!早く来て。大変なことになってるよ!」


呼ばれるままに走って練習場に向かいました。

その時、目の前に広がっていたのは、想像をはるかに超える光景でした。

続く

第三話http://ameblo.jp/wish-for-children/entry-10275186713.html

高校時代・体験記番外編①~勉強以外の大切なもの~

京大への合格体験記はすでに書きました。そこでは当然のことながら勉強をメインに扱っていて、私の勉強以外の学生時代についてはあまり扱っていません。

大好評いただいております合格体験記はこちらから

http://ameblo.jp/wish-for-children/entry-10252534917.html

しかし、現役の中学生や高校生にとって問題となるのは、部活との両立であったり、行事にどれだけ本気になって取り組むのか、といったことでもあるわけです。

ですから、今回は、勉強以外で、私がどういう学生時代を送っていたのか、について書きたいと思います。

改めて学生時代のことを思い出すと、考えさせられることが非常に多くありました。

浪人生や社会人の方にも役に立つ内容であると思います。もう一度、自分の生活のあり方・生き方に目を向ける機会になるかもしれません。

順番に遡っていきます。

私が、高校時代の最後に、「高校の思い出作ったぜ!!」と思えたのは、秋の体育大会でした。

私の高校の体育大会では、全生徒が縦割りの4つの団に分かれて順位を競います。

全生徒強制的に団に所属するのですが、毎年有志の人を募ってパフォーマンス(応援合戦といって、みんなでダンスをしたりうするものです)を行うのが例年の慣例になっていて、その有志の人たちが体育大会の中心でした。

しかし、高3は受験が間近であるために、参加しない人が多いのです。特に難関校を目指す人ほど参加することに対して消極的でした。

私もそのときには京大を目指すと決めていたので、時間がもったいなくて参加することなど頭にありませんでした。

ところが。

教室で勉強しているときのことでした。当初、団に入る気など全くありませんでしたから、もくもくと一人で勉強していると、一人の女子生徒が近寄ってきます。

「ねぇ」

「えっ?何?」

「団長やってよ。」

「はい!?!?」


団には、団長が一人必要になります。4つの団が存在するわけですから、全生徒の中(実質は3年生の中)から、4人の男子が選ばれることになります。

話を聞いていると、団に入る女子生徒の中で、なぜだか分かりませんが、私が団長になることになったと決定されていたようなのです。

「無理無理!!勉強しなくちゃなんないし!絶対やらん!」


何度も何度も断りました。しかし、何度も何度も誘ってきてくれました。

実際、団長になるということは名誉なことで、誘われたことは純粋に嬉しかったのは確かです。

しかし、それでも当時は、勉強がやばいという気持ちはとても強かったのです。

何度断ろうとも、団の人たちは誘ってきてくれます。

次第に、「勉強勉強!」と言っている自分が小さく見えてきました。団長をやってみたいという気持ちも強くなってきました。

思い余って、父親に相談しました。すると父は

「そこまで頼ってきてくれているのに断るとは何事か!必要とされているんなら、困っている人がいるのなら、手伝ってやるのが本当の男だろう!困っている人を助けられないのなら、いくら勉強できても無駄だ。そんな人間になるくらいなら、勉強なんてやめてしまえ!」

と言ってくれました。

勉強が大事なのは父も良く分かっています。しかし、それでも、団長になることを進めてくれる。

私は今まで、一度も親に勉強しなさいと言われたことがありません。


というか、「~しなさい」という言葉を聞いたことがあまりありません。いつでも、自分のやりたいことを尊重されていたように思います。

人に強制されても、やる気になれない。強制されたことをやっていても幸せになれない。自分から進んで何かをすることが大事だと、分かっていたのでしょう。


実際、難関校に合格する人の親の多くは、「~しなさい」という言葉をあまり使わないそうです。

こうした、親の後押しもあって、私は黄団の団長に就任することとなりました。

そこで待っていたのは、団長という立場からくる様々な苦労と、溢れるほどの感動でした。

続く

第2話 http://ameblo.jp/wish-for-children/entry-10274640547.html

僕が京大に合格するまで⑨~京大合格編~

浪人生活はあっという間でした。中だるみすることもなく勉強できたと思います。

浪人生活において最も大切なことは、

自分の将来・なりたい姿を明確にイメージし、毎日がそのなりたい姿に近づく一歩なのだと理解することです。

勉強の日々がつらくなることもあります。自分は今何をやっているのだろうと思うこともあります。

しかし、この勉強は意味がある。今の勉強が将来の幸せにつながる。そう思えれば人は頑張れます。

未来は常に輝いています。負けないで。

今浪人生の人たちにはこのメッセージを送ります。

自分もその気持ちで毎日の勉強を頑張りました。将来の自分が輝くと考えれば、自然に頑張れました。

成績も順調に上がりました。しかし、模試でA判定を取ることは結局一度もありませんでした。

学力的には決して十分だったとは言えません。担任の先生にも京大受験をやめるよう言われました。

しかし、ここまできて京大受験をあきらめるわけにはいきません。

勝負する前に怖気づいて逃げる、そんなかっこ悪い生き方をするなら死んだ方がマシだと本気で思っていました。

現役の時同様、私立に行くことは無理だったので、浪人してからも私立受験しないことは最初から決まっていました。

あくまで京大一本

周りから何を言われようと、その意思は変わりませんでした。他の選択肢など考えたこともありませんでした。

その後も必死の勉強が続きます。月日が流れるのは本当に早く、気づけばセンター試験でした。

センター試験の結果をのせておきます。

国語 143/200

英語 224/250(リスニング含む)

数学 166/200

日本史 100/100

生物 79/100

法学部のボーダーからは15点ほどマイナスでした。

ここでもまた、担任には京大をあきらめるように言われました。

しかし、何度言われてもあきらめません。それは私に「死ね」と言っているのと同じことなのです。

センター試験が終わると、京大二次試験に向けての勉強がスタート。私立受験はなかったので、もっぱら京大対策です。

勉強法は簡単でした。京大形式の問題を時間を計って解く。それだけを毎日毎日繰り返し行うのみです。

その毎日が1ヶ月続き、ついに京大受験本番を迎えます。

京都大学

何度も何度もこの大学に通っている自分をイメージしてきました。

絶対に合格してやる

気分は最高。かかってこい!

緊張はさほどありませんでした。自分に対する確固たる自信があったからでしょう。試験本番では根拠なき自信が役に立ちます。

どの科目も順調に終えました。

終わったときは、「本当にもう終わりなのか…?」という気持ちが一番強かった。

しかし、やりきった、自分の力を出し切ったという気持ちもまたありました。

合格発表は自分一人で見に行きました。

開示される3分前には京大に到着し、静かに開示のときを待っていました。

きゃー!!うぉーーー!!

開示の瞬間、その場は騒然となりました。私も必死に人ごみを掻き分け掲示板の前へ。

あるやん……俺の番号。

最初はそれが現実なのかどうか分かりませんでした。自分が京大生になったなどとは信じられませんでした。

すぐに親や先生、友達に電話。そのときになってようやく実感が湧きました。

帰りの電車の中、今までの生活を振り返っていると、自然と目頭が熱くなりました。毎日毎日机に向かい、一人で問題と格闘する日々。夏期講習に行けず、バイトしながら勉強した日々。

それら全ての日々が今この時につながっていたのだ。自分はこの日のために毎日頑張った。

夢はあきらめなければ必ず叶う。状況がどれだけ困難なものであっても、自分自身があきらめさえしなければ望む結果は必ず手に入る。

そう確信しました。

たかが受験と思うかもしれません。受験に成功したぐらいで何なのだと思うかもしれません。

しかし、受験と本気で向かい合い、本気で乗り越えたのなら、人はそこから人生の真理を学ぶことができるのではないでしょうか。

夢は必ず叶うこと。夢へと歩む毎日は輝いているのだということ。

私は受験によってこのことを学びました。

そして、多くの人に受験を通してそのことを学んでもらえたらどれだけ素晴らしいだろうと思いました。

今、私は塾講師として働いています。未熟ながら中三の受験生も担当させていただき、毎日勉強の大切さを語りかけています。できるかぎり多くの子供たちに勉強や受験の大切さを伝えていきたいと思っています。

こうして、私は京大生になったのです。



僕が京大に合格するまで⑧~浪人生編(ⅱ)~

新しい職場は楽しいものでした。怒られた記憶など、ひとつもありません。そのおかげで、勉強にも集中して取り組むことが出来ました。

しかし、秋以降はバイトをしている余裕などありません。そんなことをしていたら、本当に合格出来るかどうか分からない。ですから、予備校の夏休み中に秋以降必要な分のお金も貯めておくことにしました。

 

一ヶ月で、10万円貯めることしました。

 

そうなると、週5日は働くことになります。時間も基本的には一日5時間で、夜の時間帯に働くことが多かったのです

が、それだと10万円には届かないので一日8時間以上働くこともありました。

 

夏期講習会など受けられるはずもありません

 

予備校にいると、夏期講習前には、こんな会話が繰り広げられます。

 

「夏期講習、何コマ取った?」  「俺は10コマかな。もうちょい取るかも」


夏期講習会0コマの人など、周りにはいませんでした。ましてや働きながら勉強している人などもっと少ないでしょう。

「夏期講習会、何コマ取った?」


0コマ

 

バカじゃん!!!

 

何回こういった会話をしたか分かりません。ですが、こういった会話が自分を奮い立たせていました。

 

働きながらでも、こいつら以上に勉強してやる。俺は、自分のことは自分でやってんだ。

 

自分で勉強する習慣が中学生の頃から身についていた自分にとって、夏休みの期間を一人で勉強することは難しいことではありませんでした。また、バイトがあることで時間の制約が生まれ逆に集中力も上がりました。

 

夏休みの間は、もっぱら一学期の復習と、愛用していた参考書のやりこみでした。各教科一冊新しい参考書を買うか買わないかで、新しい問題を解くことは多くありませんでした。


この頃になると、復習の重要性を身にしみて分かっており、参考書を繰り返し解くことが最高の勉強法だと確信していました。

 

信頼できる参考書を7~8回は繰り返し解く。そうすると、書いてあることがほとんど頭に残っていて、新しい問題に対処するときもそこで得た知識を確実に使うことができるのです。


新しい問題を解くか、復習するかで迷ったときは、迷わず復習すればいいと思います。自分が8割ぐらいは覚えたと確信するまでは新しい参考書に手をださないことです。

バイトと勉強を繰り返す毎日はあっという間に過ぎていきました。バイトの疲れで朝早く起きられなかったことは誤算でしたが、基本的には予定通りの勉強量をこなすことができました。

夏に行われた京大模試では、なんとB判定が出たのです。

もちろん浪人生なのですから、当然であり、むしろA判定を取らなくてはならない立場ですらあります。

ですが、私は嬉しかった。

 

中途半端な成績だった高校時代から、ついにここまで成長したかと思うと、感慨深くなるのです。


その後は、バイトをすることもなくなり、勉強だけに時間を使えるようになったので、毎日が勉強だけの日々。一日10時間以上は勉強していたでしょう。ですが、その日々が苦しかったわけではありません。むしろ楽しかった。

 

人は、夢や目標があれば、つらい日々にも耐えられる。その日々が夢へ近づく日々だと思えることで、毎日が輝く。


周りの人が見たら、かわいそうだと思うでしょう。勉強ばかりの日々はつらそうだと思うでしょう。

 

しかし、私にとっては、夢へと近づく希望に満ちた毎日でした。本当に輝いていました。

 

遊びたいとも思いませんでした。勉強したい、夢に近づきたい、という気持ちが一番強かったのです。

負け惜しみではなく、心から浪人してよかったなと思えました。もし、このブログを浪人生の方が見てくださっているのなら、伝えたいことがあります。

あなたの選択は間違っていません。高い目標を掲げ、毎日その目標を胸に秘めて勉強してください。その日々は必ず輝きます。周りの人間など関係ないのです。私は全ての浪人生を応援します。

季節は冬になり、センター試験が近づきます。

長々と自分の体験記を書き綴ってきました。その旅も次回で最後です。


続きはこちら↓

僕が京大に合格するまで⑨〜京大合格編〜

僕が京大に合格するまで⑦~浪人生編~

Yゼミの授業は素晴らしく、いつも感動していました。本当に知的に楽しく勉強することが出来ました。私が受けていたのは、サテラインというテレビ映像の授業で、東京の先生が行う授業を大阪で聞いていました。東京で授業を行う先生というのは、まさに一流講師であり、その先生方の授業を受けたことは本当に良い経験だったと思います。

浪人生時代はほとんど遊んでいません。

一年間で遊んだのは一日だけです。後はずっと勉強していました。

 

一日8時間以上は勉強していたと思います。

ただ、問題がありました。

予備校というのはお金がかかるので、私は勉強しながら、アルバイトすることになったのです。

高校時代は部活をやっていたので、人生初めてのアルバイトでした。

私が選んだのは、とんかつ屋のキッチンのアルバイト。

ですが、そのバイトがめちゃくちゃ厳しかった。

ミスをしようものなら、ヤクザ風の店長の怒声が飛びます。

 

「帰れこらぁぁぁぁ!!!」

 

普通にびびりました。新人なので分からないことだらけで、ミスを犯すことも多かったのですが、新人であることなど職場においては関係ありません。店長は躊躇することなく、本気で怒ります。

 

お前のミスで客けぇへんようになったらどうすんねん。俺の生活どうしてくれんねん。


毎日毎日こんなことを言われていました。


しかし、この店長が悪いとは思いません。言っていることは実際納得できることですし、バイトの新人のミスでお客様に迷惑がかかることなど、生活のかかった店長には許せないことでしょう。

 

ただ、勉強をしながらそのバイトをするのは自分にとって本当にきつかった。


勉強の方が本業なのでそちらに力を入れたいのですが、バイトのことが気になって集中できません。


バイトのある日は朝から憂鬱で、勉強にも身が入らなくなってしまいました。

 

このままでは京大合格に支障がでるのではないかと思って、そのバイトはやめてしまいました。

 

この選択が正しかったのかどうか、今でも分かりません。


逃げた、という風にもとらえられるでしょう。実際、心の中では逃げたかったのだと思います。


勉強があるから…という理由をつけて辞めましたが、受験がなくても辞めていたと思います。

 

そういう自分を当時の私、そして今も私は情けなく思っています。逃げだしてしまった自分が情けないのです。


当時はそれを受験で打ち消そうとしました。


受験では逃げない!!


と心に決めました。

 

続きはこちら↓

僕が京大に合格するまで⑧〜浪人生編2〜


僕が京大に合格するまで⑥~高校生編(ⅱ)~

その本とは、今や受験の神様とも呼ばれる超有名人、和田秀樹さんの著書、「受験は要領」です。

当時、受験のことをよく考えるようになっていて、本屋さんで本を見ているときに自然に「受験~」という言葉に反応していました。

その本の中身は、私にとって衝撃的なものばかり。


具体的な勉強法のノウハウ、受験に対する考え方など、自分が今まで聞いたことのなかった情報がバンバン書かれてあるのです。

即購入して、家に帰って読みふけりました。一日で読んでしまい、読み終わった頃には、

 

俺、絶対勉強できるようになれる


と、確信していました。勉強はやり方次第で誰でも出来るのだという事実に気づいた瞬間でした。

その頃から私は変わります。和田さんの考え方に影響され、自分でも合理的な勉強法を考えはじめたのです。

そこからは、勉強法研究が始まります。毎日本屋さんに通っては、勉強法を勉強する日々。

本屋さんにある勉強法の本は全て立ち読みで読破しました。その本屋さんに置かれてあったのはだいたい20~30冊ぐらいでしょうか。

それらを全て読み終わった後、私は決心しました。

 

超難関校に合格してやる

 

私は地元を離れることなく通えるところで、最も難しい大学を受けようと決めました。

 

それが京都大学だったのです。


京都大学受験を決意したのが、高3の4月。今の自分のレベルを考えると、自分に残された時間はあまりない…と思いました。

 

というのも、M高校から京都大学に現役で合格するには、上位20位以内には入っておかなければならない、M高校にはそんな一般的な意識があり、自分の成績はそれにはるか及ばず200位。

 

普通に考えるなら、私はただの無謀なおバカさんです。


しかし、私は必ず合格できると思っていました。

 

合理的に勉強しさえすれば大丈夫だと信じていたのです。


研究を重ねた勉強法を頼りに、猛勉強が始まります。中学時代に行っていた一人での勉強がここで生きます。


一人で勉強することはもはや自分にとって普通のことでした。逆に、周りに人がいると落ち着いて勉強が出来なかったぐらいです。


そうやって自習を重ねていく結果として、次第に成績は上がっていきました。驚異的な伸びだと言えるぐらいの伸びでした。次のテストで、200位から、いきなり80位ほどに順位が上がったのです。


しかし、そこからがなかなか伸びませんでした。80位以上の人たちというのは、受験に対するモチベーションが高く、その人たちも3年生になって猛勉強し始めるのですから、相対的に僕の成績が伸びないのも当然です。順位を上げるためには、彼ら以上に伸びなくてはならないのです。

 

そうこうしているうちに、夏休みに入りました。ここで、初めて


京大模試


を受けました。


京大受験生だけが受ける京大形式の問題での模試です。


そこでの結果は悲惨なものでした。


数学などは150点満点中の20点。英国も150点満点中50点ぐらいでした。もちろん、判定はE判定。


到底合格出来るレベルではありません。


秋以降もこれは変わりませんでした。


受けた全ての模試で、すべて最低ランクの判定結果。

 

しかし、それでも私はあきらめません。男が一度決めたことなのだから、必ずやりきろうと心に決めていたのです。


やって失敗するより、やらずに逃げるほうがかっこ悪


と思っていました。


それ以降も猛勉強は続いたのですが、勉強法を研究したにも関わらず、一向に要領は良くなりませんでした。

 

自分の限界を感じることもしばしばでした。


もともと頭が悪いんじゃないか。努力したって無駄なんじゃないのか…。

 

何度そう考え、涙を流したか分かりません。

 

「何でこんなに頭の悪い子供を産んだんだ!!」などという、最低なセリフを親に向かって叫んだこともあります。


それぐらい、悩んでいました。


夢をあきらめたくない自分。能力の限界を感じている自分。

 

勉強しているとき、何度も何度も自分の頭の悪さを呪っていました。しかし、自分で自分を否定してしまっていることに対して、情けないという気持ちもまたありました。

 

自分を否定するのはやめにしよう


そう思えたのは、現役での合格の夢が消え、不合格という事実がたたきつけられてからでした。

 

そう、私は受験に失敗したのです。京大は不合格に終わりました。

 

当然の結果だといえるでしょう。少し前まで、受験のことは全く考えもせず、特別頭がいいわけでもない凡人がそう簡単に合格できるような大学ではありません。

 

家の事情で私立大学に行くことは許されていなかったので、私立は受けていません。

 

つまり、京大に落ちた時点で、浪人が確定しました。

 

この事実を受け止め、気力を振り絞って、勉強に対するやる気を引き出すのにそう時間はかかりませんでした。


心のどこかで、浪人することを覚悟していたのでしょう。


4月。Yゼミに入ることが決定し、私の浪人生活がスタートします。

 

続きはこちら↓

僕が京大に合格するまで⑦〜浪人生編〜

 

 

僕が京大に合格するまで⑤~高校生編~

念願のM高校に合格できたの私は、高校でも勉強し続けようという気持ちはあったものの、そこまで強い気持ちであったわけではなく、まだまだ勉強する価値みたいなものに気づいていたわけではありませんでした。

 

勉強というよりは部活の方に意識が向いており、部活をするために高校に行っている…みたいな感じでした。


とはいえ、大阪の公立校の中ではかなりの進学校だったので、授業やテストは難しく、勉強しなければならない状況にあったのは確かであり、周りも勉強の出来る子たちだったのでコンスタントに勉強は続けていました。

しかし、別に受験を強く意識していたわけではありません。普通に学校の授業を聞いて、その予習復習をするだけです。

成績だって良くありません。中学校時代の時のように、暗記に頼った勉強をしていました。

しかし、高校に入ると、次第にそれが通用しなくなってきます。特に数学でその傾向は顕著で、

 

高校最初の定期テストで、数学の点数は30点でした。

 

その後もずっとその点数は変わらず、30~40点あたりをうろちょろしているレベルでした。

京都大学に届くレベルでは全くありません。当時のことを思い出すと、今でも京都大学に合格できたことが奇跡のように思えます。

高校一年当時も、もちろん京都大学を受けようなどと思ってもみませんでした。雲の上の存在でしかありませんでした。

高校2年生までは、特筆すべきことは何もありません。受験勉強など全くしていませんでしたし、成績も、320人中200位ぐらいでした。数学は最後まで足を引っ張っていました。

 

高2も終わりを迎えるころ、次第に「大学受験」という言葉を耳にする回数が増えてきて、自然に受験のことを考えるようになりました。

最初は近くにある公立大学に行こうかと考えていました。学力的にも、頑張れば届くのではないかと考えたからで、明確な目的があったわけではありません。何となくそこでいいか、というぐらいの気持ちでした。

しかし、私はそんな自分を変えてくれる本に出会うのです。その本に出会っていなければ、今の私は存在しないでしょう。

 

本当に運命的な出会いでした。


続きはこちら↓

僕が京大に合格するまで⑥〜高校生編2〜

 

僕が京大に合格するまで④~高校受験編(ⅲ)~

冬休みになっても、自習は続きました。

塾に行っている子は今頃冬季講習なるものを受けているのだろう、と思っていました。

この頃になると夏の記憶も薄れ、また塾に行きたいという気持ちが生まれ始めます。

なぜなら、毎日ひたすら家で一人黙々と勉強することに寂しさみたいなものを感じていたからです。

しかし、やはり親に言い出すことは出来ず、結局一人で家で勉強していました。

自分で言うのもおかしいですが、このときの自分は本当に良く頑張っていたと思います。

また、中学生の頃から一人で黙々と勉強する習慣を身につけることが出来たのも、後の人生に大きなプラスの影響を与えました。

冬の寒さも次第に和らぎ、春になろうとしていました。受験本番の季節です。大阪の公立高校の受験は3月。

2月には私立受験を終え、無事合格を手にしていました。

3月に入り、受験が近づいてくると、それまでの受験生活を振り返ることが多くなりました。

とはいえ、私の受験生活は寂しいものです。たった一人の孤独な戦いだったのですから。

塾に通っていたら、仲間との支え合いや先生との信頼関係などもあるのだろうなぁと思っていました。

しかし、そう思う一方で、自分の受検生活にも満足していました。

良く頑張ったよ、俺!

って言ってあげられるぐらい自分は頑張ったという自負があったのです。それは自信にもつながりました。

ひたすら一人で勉強するには強い精神力と自制心が必要です。強制させられるものは何もなく、全て自分でやるのですから。

塾に行っている人と比べて、そういう意味では比べものにならないぐらい成長できたと思います。

受検本番までの最後の一ヶ月は非常に早く、あっという間に受験本番に突入していました。

 

受験本番

 

めちゃくちゃ緊張しました。模試をほとんど受けておらず、そういう状況に慣れていないというの一つの理由でしょう。

 

数学の時間は、冷や汗の連続でした。全く出来ませんでした。


ただ、他の科目に関しては何の問題もありませんでした。社会や理科に関してはほぼ満点なのではないか、と思えましたし(実際にほぼ満点でした)、国英に関しても無難こなしました。

出来としては満足できるもので、高校入試の倍率を考えても、大丈夫だろうという気持ちはありました。

といっても、合格発表の日はやはり緊張し、掲示板を見るまで、「落ちていたらどうしよう」という気持ちは強かったです。

しかし、その不安も父の一言で吹き飛びます。

 

ジュン、番号あるぞ!早く見て来い!

 

先に言う!?と思いましたが、喜びの方が大きく、掲示板で自分の番号を確認したときは自分これまでの努力が報われたと感じ、本当に嬉しかったです。

確かに、努力することは苦しいことかもしれません。目標が高ければ高いほど、より多くの努力が必要になります。

 

しかし、そういう努力をするからこそ、得られる喜び、満足感は大きいのです。

 

当たり前のことかもしれませんが、このことを実感として学べたことはすごく意味のあることでした。

この経験は次の大学受験でも生きてきます。

 

続きはこちら↓

僕が京大に合格するまで⑤

僕が京大に合格するまで③~高校受験編(ⅱ)~

夏期講習会は悲惨な結果に終わり、そのせいもあって十分な勉強はできませんでした。

私は当時サッカー部に所属しており、夏休みにはほぼ毎日練習もありましたし、塾だって毎日あるわけです。

そして、その塾が全く勉強にならなかったのですから勉強時間が満足に確保できないのも無理はありません。

焦りは感じましたが、もう二度と塾に行くつもりはありませんでした。塾に行っても難しすぎてついていけないと考えていたからです。(明らかに無理をしてAクラスに入れてもらった自分が悪いのですが)

そこで、秋以降は自分で勉強することにしました。自分で参考書を買って自習しようと決めたのです。

とはいえ、普通の公立中学に通う中学生には受験に関する情報などほとんど手に入れることが出来ず、どんな参考書で勉強を進めていけばよいのかなど見当もつきません。

先生にも相談しましたが、参考書に関する知識はほとんど持ち合わせていらっしゃいませんでした。

 

「授業で十分だ!」


こんなお叱りを受けることもありました。しかし、そんな助言に耳を貸すわけにはいきません。

 

塾に通う子がほとんどの時代に、授業だけで受験は事足りるなどとよく言えたものだと思っていました。

 

結局自分自身で参考書探しを始めることとなりました。近所の本屋さんに行って、各教科1冊ずつ参考書を選ぶ。

 

しかし、この作業がなかなか難しい。参考書の数が多すぎて、どの参考書にすればよいのか全く分からないのです。

結局、本屋さんに一番売れている参考書を聞いて、教えてもらったものを素直に5冊買いました。今後、この5冊が私の受験勉強のメイン教材となります。

秋も深まってくる頃、進路相談が行われました。当時、自分としては近所にあるS高校に行けたら十分だろうと考えていて、母の方もそう思っていました。



しかし、担任の先生から驚くべき事実が告げられます。

 

学校の成績(通知表)がこれだけ優秀なら、十分にM高校を受験出来る。挑戦しなさい。

 

驚きました。最難関であるM高校を受験するのは、定期テスト5科目で450点以上をコンスタントに取ることの出来る天才だけだと思っていたからです。400前後をうろちょろしている自分が受けられるわけがないと思っていたのです。

僕の強みは学校の成績でした。中1の頃こそ、不良とつるんだりして問題児扱いを受け、何度も進路指導室に呼ばれたりしていましたが、中3になる頃にはおとなしくなり、授業も聞く、提出物もきちんと提出する…という真面目な生徒になっていたのです。

先生にも好かれており、副教科の成績は抜群でした。

体育と音楽に関しては5段階なら常に5。10段階なら常に10を獲得していました。

美術のセンスはなかったのですが、居残りをしながら一生懸命作業していたら先生は評価してくれました。明らかに下手くそなのですが、

 

心がこもっていてイイ作品だ

 

とも言ってもらえました。出来なくても、自分なりに頑張っていれば人は見ていてくれているものなのです。

しかし、いくら学校の成績が良くても、実際の実力がなくては合格できません。

ましてやM高校です。塾での経験が鮮明に残っていた自分にとって、あそこで勉強するエリートたちと同じ高校を受けることは恐怖でもありました。自分とは次元の違う人間たちだと思っていたのです。

しかし、一度M高校を受験すると決めた以上、逃げるわけにはいきません。

 

塾には行けないけれど、自分で勉強してやる!!

 

そう心に決めて、参考書と向き合う日々が続きました。

この時は、学校が終わればダッシュで家に帰り、一人で黙々と勉強する毎日でした。土日も、朝から晩まで勉強していました。

自分で買った参考書はそれぞれ三周は解いていました。それが効率のイイ最高の勉強法だと気づいたのは後になってからで、当時は自分で選んだ参考書に愛着が湧いて何度も解いているという感覚でした。

学校でも演習の授業がいくつかあって、私は数学が大の苦手だったので、数学の演習後は毎回先生に質問に行き、自分が解いた参考書の問題のついても教えてもらっていました。

数学が苦手だと、自分は頭が悪いのだと思いがちです。

私自身そのような気持ちを学生時代常に抱え、自分が頭がいいなどと思ったことは一度もありませんでした。要領も悪い。

兄が要領のイイ人間だったので、余計そう思わされていました。

頭が悪い代わりに自分には根性が与えられたのだ!

と考え、暗記で済むような問題は絶対に覚えるようにしていました。

みんな暗記は嫌いだと言っていましたが、それは頭イイやつのセリフだとずっと思っていました。

頭の悪い自分にとっては、暗記の方が楽なのです。何度も書いたりして覚えるだけなのですから。

暗記が嫌いと言える子たちのことをうらやましいとすら思っていました。私も好きなわけではありませんでしたが、暗記が嫌い、などと私が言ってしまえば、もうおしまいです。

暗記しかできないんですから

人一倍の努力のおかげで、成績はだんだん上がってきました。

しかし、私は模試というものをほとんど受けたことがありません。学校から受けろと言われた模試を一回だけ受けただけで、それも秋頃でした。判定が何だったのかすら、もはや覚えていません。

塾講師として働き始めてから、非常に驚きました。

こんなに模試ってあるものなの!?
生徒たちはたくさんの模試を受け、判定を確認し、その上で自分の受験校を決定するのです。

衝撃でした。

私は模試の成績など全く考慮することなく、というか、模試なるものの存在をほとんど知ることもなく受験に向かっていたのです。それが普通だと思っていました。高校に行っても、中学のときの模試の話をすることなどありませんから、その事実を知ったのは、塾で働き始めてからだったのです。

しかし、それが逆によかったのかもしれません。模試を受けていれば間違いなくE判定が出ていたことでしょう。その結果を見て落ち込んだに違いありません。受験をあきらめていたかもしれません。

そのような客観的な数字が示されていなかったので、自分を信じて勉強することができた、というのはあると思います。

 

さぁ、季節はすっかり冬。受験シーズンの到来です。

 

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僕が京大に合格するまで④〜高校受験編3〜