カテゴリー別アーカイブ: 生き方

制約がある中で孤軍奮闘する男

 

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まずお知らせ。

告知していた出版記念トークライブですが、申し込み開始から数時間で満席に。

あまりにも早く埋まってしまったので、追加の開催も考えています。

詳細をお待ちください。

 

今日は、東京からの帰りの新幹線の中で、映画「マネーボール」を観ていました。

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この映画は好きな映画の一つで、観るのは3回目。

当時弱小チームだったアスレチックスという野球チームを任されたブラピ演じるGMのビリー・ビーン。

有力な選手は全員お金のあるチームに獲られていき、戦力は激減。

制約多きチームで優勝するために、ビーンが孤軍奮闘する姿が描かれています。

まず、この映画を観ていて感じることは、私たちの人生でも、

完璧な状態で闘えることなどない

ということ。

何かしら欠けているものがあったり、制約があるものです。

何か挑戦しようとしても、お金がない、時間がない、家族が反対している、能力が足りない、などなど、必ず制約が出て来ます。

映画の場合は、「お金」が最大の制約になっていました。

最高の選手を育てても、結局、お金がないので、強くてお金のあるチームに選手が獲られていくのです。

しかし、その制約に文句を言っても始まりません。

その制約の中で闘うしかないのです。

その制約に文句を言うのは楽だし、その制約の「せい」で自分は上手くいかないのだ、と思うことも楽。

つまり、「被害者」の立場に安住するのは、本当に楽なことなのです。

しかし、その代わり、結果を出すことはできません。

話を戻して、

お金のないアスレチックスは、普通のやり方では勝つことができません。

だから、ビーンは、ひたすら頭を使って、自分で考えて、優秀なパートナーを引き抜いて、戦略を練ります。

しかし、チームには、「古いやり方」にこだわる人たちばかり。

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ビーンのやり方は、全く支持されず、周りは敵だらけに。

「お前のやり方は間違っている。今までのやり方と違う」

古く、全く通用しない考えに固執する人たち。

周囲は、とにかく反対するし、非難するし、攻撃します。

しかし、ビーンは、理解が得られないながらも自分を曲げることなく、孤軍奮闘。

誰にも相談できない孤独な闘いを強いられるのです。

娘にも、「パパ、大丈夫なの?」と聞かれるほど、周囲の反対の声は大きくなっていく。

それでも、「大丈夫に決まっている」と、自分を曲げません。

不安や苛立ち、理解されないことへの憤り。

そういうものも、全て一人で引き受けなければならない。

誰にも、ビーンの孤独、ビーンのつらさは分からない。

周りは、非難し、反対し、上手くいかなければビーンのせいにしておけばいい。

すごく、楽な立場です。

人間には、2種類の人がいると思います。

責任を引き受ける人と、責任をなすりつける人。

いつだって、結果を出す人、人生を変える人は、責任を引き受ける人なのだろうと思います。

人生には制約が付き物で、私たちはその中で生きていく。

制約に文句を言ったって、仕方がない。

そして、自分で自分の人生の結果を引き受けること。

本当に、この映画から学ぶことは多いな、と。

結局、アスレチックスはどうなったのか?

それは、映画を観てもらえればと思います。

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「頑張ったのに結果が出なかった男」の話

 

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何か、上手くいかないことが起こった男が、ここにいたとしましょう。

かなり頑張って勉強したのに、結果が出なかった。

仲の良いあいつは、結果を出しているのに…。

しかも、そいつが、自分の好きな子と楽しそうに喋っている。

「えー、何これ!すごいじゃん!頭良いんだね!」

聞きたくない。

「俺、今日、用事あるから帰るわ」

ただ、その場から離れたくて、教室を出る。

用事なんてない。

街を歩いていると、美男美女のカップルが手をつなぎながら歩いている。

くそ。

そのとき、こう思う。

「お前らの幸せなんて長続きしないよ。俺は、勉強して高い地位に上っていく。

俺に恋愛なんてしている暇はないんだよ。

せいぜい、平和ボケしているがいいさ。

これから、社会は下り坂。そうやって、仲良く遊んでいたりして平和ボケしている間に、どんどん生活は悪くなっていく。

ふふ。

俺は、それを知っている。俺は、分かってる。

恋愛なんて、どうでもいいのさ。オシャレもどうでもいい。

別に、女になんて興味はないし、オシャレして媚びるつもりもない。

そんな暇があったら、俺は勉強して、上にいく。

仲良しごっこでワイワイやってる暇は、ない。

社会を斜めから見ることができている俺は、すごい。

なぜか女の子は寄ってこないが、まあ、頭の悪い子に寄って来られても困るしな」

そうやって考えながら歩いていると、お腹が空いてくる。

「飯でも食うか…」

スマホを取り出し、一緒に飯を食う奴を探そうと、LINEを開く。

気軽に誘えるような奴がいない。

「……何だよ。ろくな奴がいねえな。もっと面白い奴、いないのかよ」

近くにあった牛丼屋に入り、周囲に目を配る。

知っている奴は、いなさそうだ。

入り口が開き、「いらっしゃいませー!」という声が聞こえる度にピクっと反応することを繰り返しながら、

急いで牛丼をかき込んでいく…

 

私たちは、自分を正当化しようとします。

自分の弱さを認められず、自分を受け入れられずにいれば、その姿勢はより強くなる。

本当は、好きな子と話したい。

でも、上手くいかないことがあって、自分に自信もなくて、誰かと話している姿を見て、

心がねじくれる。

本当はしたいことがあるけれど、それができない。

そのとき、現実を否定したくなる。

この現実世界に「否」を投げつけることで、自分を保ちたくなる。

 

俺が間違っているのではない。世界の方が、間違っているのだ。

 

事実、世界にもおかしな点はいっぱいある。

だからこそ、自分のアイデンティティは保たれる。

その動機が何であったとしても。

「自分の望む生き方が先にあって、それが世界とはズレてしまう。それでも、望む生き方をすることを選ぶ」のではなく。

 

まず、世界が間違っていると思いたい。

まず、現実世界を否定したい。

 

その思いが、先にある。

なぜか?

心がねじくれたから。

劣等感や妬み嫉み。その心が、この現実世界を否定したい心を創った。

そして、自ら否定的に世界を見ることを望んだ結果として、世界の「間違っている」点を発見する。

内心、ほくそ笑む。

そうだろう、やっぱり、世界は間違っているだろう。

ふはははは。

 

ちょっと怖いね。笑

この姿勢はまさに、ルサンチマンそのものです。

まず、世界を恨んでいる。まず、妬んでいる。

うじうじしている。

ただ、この姿勢が「悪い」わけではなく、この姿勢で生きることで一時的に救われる人もいます。

自分を正当化できるから。

弱い自分、できない自分を見なくて済むからです。

こういう姿勢になる時期は、多くの人にとってある。

だから、悪いわけでもない。

上手くいかないとき、人は現実や自分を否定したくなるものです。

でも、そういう「うじうじした自分」から、抜け出していくこと。

「うじうじ君」「うじ子ちゃん」と呼びましょうか。笑

それはつまり、

 

この世界や、現実や、自分や、人生に、「OK」を出すこと。

 

それが、やっぱり大事で。

街を歩くカップルを見たら、

「お!幸せそうでいいな!俺も今はいないけど、彼女を作ろう。よし、カッコイイ服でも買って、オシャレな美容室に行くか!」

と思う。

みんなでワイワイ仲良さそうにしている友達がいたら、

「ちょと待てちょと待てお兄さん!いいないいなー!俺もいれてくれよ!寂しいじゃん!」

と入っていく。

ねじくれるのではなく、素直に、正直に。

できないことがあるならできないと認め、

苦手は苦手と受け入れ。

今のこの自分からスタートしていく。

自分の気持ちに嘘をつかない。

そういう姿勢が、大事なんじゃないかと思います。

 

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いつから、本当は好きなことを「嫌い」ということしたのか?

 

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生きていれば、傷を負うことがあります。

肉体的なものではなく、精神的なもの。

振られたとか、いじめられたとか、仕事が上手くいかなかったとか、怒鳴られたとか…

何でもいいですが、そういった経験の中で、「恐怖」が生まれる。

 

例えば、

あなたが、レストランにいるとしましょうか。

一緒にいる人は、あなたにとって大切な人。

あなたはお酒を飲んでいたこともあって、少し酔いが回っている。

そのとき、何の悪気もなく言った、一言。

その一言を聞いた相手は、目を見開き、表情が曇り、言葉を発しなくなる。

…沈黙。

おかしい、と思い、自分の発言を振り返る。

すると、取りようによっては、その人を傷つけるような発言になり得ることに気づく。

自分はそういうつもりで言ったのではないけれど、そう取ることもできる。

でも、言ってしまった言葉は、もう、引っ込める事はできない。

その人とは、まだ親身に打ち解けた仲であるわけでもなく。

そういうつもりではなかったんだ、とあえて言うことも、どこか不自然な気がする。

そういう風に釈明するということそのものが、失礼に当たる気がする。

だから、何も言えない。

言いたいけど、そういうつもりじゃなかったんだと伝えたいのだけど、それもできない。

結果、何だか気まずい空気が流れ、心の距離は埋まらないまま、帰ることに。

 

こういう経験から、

自分は発言をすると、人を傷つけてしまうかもしれない

と、深く考え込んでしまったとして、

人を傷つけたということが自分の傷になる。

優しいあなたは、もう人を傷つけたくないと思い、積極的に話すことをしなくなる。

特に、自分が大切だと考える人の前では、話せなくなる。

話すことが、恐怖になる。

でも、話したい。

気兼ねなく、話したい。

ホントは。

 

私にも、多くの傷がありました。

そして、その傷が原因で、自分に正直になることができず、いつもどこか不満を抱える日々。

そんな自分を変えたくて、その傷を乗り越えたくて、

自分と向き合ってきたのだと思います。

恐怖があるから、できないこと。

でも、恐怖がなければ、やりたいこと。

そういうものが、ある。

だから、その恐怖を乗り越えたい。

そう思って、向き合ってきた。

恐怖を恐怖のままおいておけば、人生の自由度が下がります。

自分が本当にしたいことができない。

恐怖がなければやりたいことは何か?

そう考えたとき、色々と思い浮かぶのであれば、

恐怖に邪魔されて自分が本当にしたいことをできないでいる、ということ。

だから、大事なことは、恐怖と向き合うこと。

恋愛に臆病になったのはいつからか。

いつから、本当は好きなものを「嫌い」「どうでもいい」と言い始めたのか。

自分に正直になるってことが大事なのですが、

それは、自分の弱さを認めることでもあります。

本当はしたいのだけど、怖くてできないのです!

と素直に認められるかどうか。

そう素直に認めることが、スタートラインかな、と思います。

 

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普通で、平凡で、中途半端な自分を変えるためには

 

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今日から東京に来ています。明日はFaceClubのオフ会。FaceClubは、現在メンバーが約100名。

明日も、多くの人が来るので、色々と対話していきたいなと思ってます。

今日は、新幹線での出来事を書いていこうかな、と。

新幹線に乗っているときに、PCの中に入っている映画を観たいな、と思ったんですね。

で、観ようとしてPCを開いたのですが、

「そういえば、今日、これから映画観るんだったよな…」

と気づいたんです。

気づいて、躊躇しました。

今日映画観るのに、今から映画観てどうするんだ、と。

そういうツッコミを、自分で入れたわけです。

で、PCを閉じた。

しかし、そこでまたツッコミが入りました。

 

「これから東京でFaceClubメンバーと映画を観るからといって、なぜ、今映画を観てはいけないんだ?」と。

 

ちなみに観たかった映画は「007」なのですが、今回観た映画もアクション系だったので、

ジャンルも被っていた。

だから観るのをためらったのですが、

そうは言っても、観てはいけない理由にはならない。

そこで、

「なぜ、今観たいと思ったその気持ちを打ち消そうとしたのか?」

と考えたんです。

するとそこには、「バランスを取りたい」自分がいたんですね。

「普通はこうする」という思考とも言えます。

普通、これから映画観るんだから、今から観ないでしょ

と思う自分がいる。

でも、本当にその思いに従う必要があるのか?

別に、観てもいいはずですよね。そのとき観たいと思ったんだから。

人に言うと、「これから観るのに、何で新幹線でも観るの?」となるかもしれなくて、

そうなるんじゃないかと思っている自分がいて、別に誰にその姿を見せるわけでもないのに、なぜか立ち止まる。

そんな自分に気づいたんですね。

何でこんなことを熱く語っているかというと、

「普通でいたい自分」「人と同じでいたい自分」が、自分の好きなことをとことんまで追求することを邪魔しているかもしれないから。

それって変なんじゃないか?と思ってしまう。

自分が好きなことをとことんすることを自分に許可できない。

本当は大好きなことをとことん突き詰めて最高の毎日を送って、

その専門家になって、それが仕事になるかもしれない。

なのに、そこでバランスを取ろうとする。

「これだけをやっていてはダメなんじゃないか?もっと『普通』でいた方がいいんじゃないか?」

そんなことを思って、自ら中途半端な自分になろうとする。

どこか突き抜けたこともなく、「これ」といった特徴もないなあと感じてしまう、そんな自分になっていく。

どこかで私たちは、遠慮したり、やりすぎかな?と思ってバランスを取ろうとしたり、

誰に見られるわけでもないのに、周りの目を気にしていたりする。

それが、自分の本来持っているパフォーマンスを発揮することを邪魔しているかもしれない。

だから、もう、

変人になることを自分の許可しましょう。笑

普通じゃなくていいです。

とことんまで、自分の好きを極めていけばいい。

じゃあ、とことんまで好きなことをやっているというそれだけでも、相当に人生が面白くなります。

本当に楽しいものになります。

しかも、その専門家になっていくので、もしかすると、どこかで仕事になるかもしれないし、

その「好き」が、いつか自分を助けてくれることがあるかもしれない。

本当に。

バランスを取ろうとしなくてOKです。

もっともっと自分らしく、自分が好きな事、自分が興味を惹かれることを、やっていきましょう。

 

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本当はいらないものを欲しがるから、やる気が出なくなる

 

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ホント、世の中には色んな情報があるな、と思います。

色んな情報があるということは、色んな価値観があるということ。

ここで、自分を持たないままに情報に触れすぎると、ちょっと困ったことが起こり得ます。

それは、混乱、です。

もう、どうしていいか分からない、というような。笑

結構あるなーと思っているのが、

お金というものに対してそこまでエネルギーを注げない人がいるとしましょう。

で、もう一人、お金というものにものすごいエネルギーを注げる人がいるとして。

後者は前者に、「もっと頑張れ!」と言うわけです。

お金を稼げるということは、一般的に「行動している」という認識にもなるし、

「すごい」ということにもなるわけなので、

お金にそんなにエネルギーを注げない人は、

「そうだよなあ、もっとやる気出してやらないとなあ…」となる。

けど、根本的にそこにそんなにエネルギーを注げないので、

あまり頑張れない。

頑張れないと、「やる気がない!本気じゃない!」と言われる。

で、自己否定。自分を責める、ということが起こる。

でも、人それぞれ、エネルギーを発揮できるポイントって違うと思うんですね。

今お金を稼げている人って、単純に、お金を稼ぐことが好きなんじゃないかと思います。

お金を稼ぐということそのものが好きで、そこに情熱を注げる。

もしくは、ビジネスとかマーケティングとかが、根本的に好き。

でも、結構、そうじゃない人も多いんですよね。実際。

で、お金とかビジネスとかマーケティングが好きな人は、

その自分のモノサシで人を見て、否定したり、まだまだだなと言ったりする。

すると、そのモノサシを強要された人は、苦しくなってしまう。

エネルギーを発揮できるポイントが違うから、どうしても頑張れないんです。

その「モノサシの画一化」が、人を苦しめているように思うんですよね。

ここで大事なのは、昨日のメルマガにも書いた、「自分を知る」ということ。

自分が本当にエネルギーを発揮できるのはどこなのか。

今、エネルギーを発揮して活躍している人は、

その人が持っているエネルギー源を万人も持つべきだ、と考えてしまう傾向にあります。

 

「何でもっと、このエネルギー源を元に頑張らないんだ!」

 

となるわけです。

でも、人それぞれエネルギー源は違う。

愛する人のためなら頑張れる人もいれば、

自分の好きなことをただ純粋に追いたい人もいる。

楽しいことを追うことが重要な人もいれば、

自己成長できるということが最もエネルギーを発揮するものになる人もいる。

人それぞれ、エネルギー源が違うということは、

人生の行き着く先、目指すところも違うということです。

そして、違っていて良い。

というか、違って当然。

だから、人がガンガンにエネルギーを発揮していたとして、そして、その人が何かのために頑張っていたとしても、

その人と同じ何かのために頑張る必要はないと思うんですね。

自分は自分だし、

自分自身にあるエネルギー源しか、自分にはないわけだから。

 

「自分にはないエネルギー源を元に頑張れない自分」を責める必要はない、ということ。

 

なのです。

 

はい。

ということで、今回はこのへんにしておきますね。

 

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嫌われるのが怖くないとしたら、何をしますか?

 

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嫌われるのが怖くないとしたら、何をするか?

この質問について、一度考えてみて欲しいと思います。

嫌われてもOK、全然大丈夫、だとしたら。

ちょっと考えてみてください。

おそらく、多くの人が、色々なアイデアが出てくると思います。

そのアイデアというのは、嫌われることが怖いから、思い浮かばなかったことです。

もしも、そのアイデアの中に自分の心が奮い立つような何かがあるとすれば、

あなたが乗り越えるべき一番の課題は、「嫌われることが怖いこと」になります。

嫌われるのが怖いから、その心奮い立つアイデアをやろうとは思えなかったわけですから。

やりたいことが分からないとか、何をしていいか分からないのではなく、

そこが問題の根本なのではなく。

ただ、嫌われることが怖かった。ビビっていた。

ただ、それだけ。

だから、やりたいことをやることを自分に許可できなかった。

大事なことは、問題の核心はどこにあるのか、ちゃんと把握しておくこと。

多くの人が、何が問題の核心なのかに気づいていないから、

同じところをグルグルとしてしまう。

嫌われることが怖くなかったら、

恋愛に臆病になることはないかもしれない。

失敗も怖がる必要はないかもしれない。

言いたいことを我慢する必要もなければ、

嫌いな人と無理に付き合う必要もなければ、

きちんとNoを相手に伝えることもできるでしょう。

じゃあ、なぜ、嫌われるのが怖いのか?

そこと、次は向き合っていく。

そうやって、だんだんと自分の核心部分と向き合えるようになってくると、

人は変わっていくんですよね。

 

結論から言えば、

邪魔なものを落としていって、自分が純粋にしたいと思うことをやればいい

ということになります。

ただ、邪魔なものが多い人ほど、それができない。

 

自分なんかがやっていいのか

自分がやる意味はあるのか

そんなことして、嫌われないか

本当に、上手くいくのか…

 

色んなことが頭に浮かぶ。色んな不安、恐怖が出てくる。

で、「やらない」を選ぶ。

けど、心には不満が溜まっていて、悔しくて、モヤモヤしていて。

 

もうそろそろ、自分が成功することを許可しましょう。

自分なんかが成功できるはずがないっていう思い込みを、そろそろ手放しましょう。

その思い込みがあったら、安心安全でしたよね。

いつもの居心地の良いところにいられました。

それは、不満はあるけど、心地も良かったと思います。

でも、それだと、モヤモヤしているわけでしょう。

だったら、そろそろ、それを手放すとき。

「自分なんかが」と思っていたら、

親を責めることもできたし、環境のせいにすることもできましたね。

先生のせいにすることもできて、悲劇の主人公やヒロインになることができました。

上手くいっている人がときに失敗して、「ほうら、やっぱり上手くいかない、無難が一番」と、歪んだ優越感に浸ることもできました。

それはそれで気持ちの良いもので、自分が頑張れない理由にできたから、居心地も良かったと思います。

でも、もういいでしょう。

もう、自分の人生を生き始めるとき。

傍観者で、観客席で、誰かの人生を眺めるのではなく。

自分がスポットライトを浴びて、自分が舞台に立つ番です。

観客席側からの視点ではなく、舞台に上がる側の視点になってください。

そのとき、どんな気持ちですか?

もう、そっちのマインドに変わりましょう。

これからあなたは、舞台に立つ側です。

批判する側ではなく、批判される側になるかもしれない。

そう考えたら、誰かの批判をすることも、なかなか怖くなると思いますよ。笑

だから、ずっと、そっち側にいる人もいるのでしょう。

でも、実際、嫌われても何も問題はなく、やはり嫌われることがある側こそが自分の人生を生きている人なんです。

視点を変えましょう。

これからあなたは、批判する側ではなく、批判される側。

その勇気を持つ。

何かをやる、ということはそういうことです。

まずは、その「やる側」のマインドになること、そっち側の視点で物事を考えることから始めていきましょう。

もう、弱者マインド、被害者マインド、批判者マインドはいりません。

そっち側の視点で物事を見ない。

傍観者側ではなく、舞台に立つ側に、なっていく。

それが、自分の人生を生きるということだから。

視点が変わっていくことで、だんだんと人生も変わっていきます。

 

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人生が上手くいかないのは、嫌われるのが怖いから

 

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恐怖が強いと、本当に向き合うべきものから逃避してしまうことがあります。

例えば、自己評価が低くて人から嫌われることが怖い場合。

多くの人は、「嫌われないためにどうするか?」を考え始めます。

で、コミュニケーション術を学んでみたりする。

好かれることではなく、好きになることの方が重要なのに、

好かれるために、嫌われないために、試行錯誤してしまうのです。

しかし、問題の根本はそこにはありません。

「なぜ、嫌われるのがそこまで怖いのか?」

ここが、根本です。

私の場合は、そこと徹底的に向き合ってきました。

なぜなら、嫌われることが怖ければ、

 

恋愛が上手くいかない、好きな人と仲良くなれない、人と親密になれない、チャンスも与えられない、人と感動を共有することもできない、やりたいことができない、日々がストレスになる、小さなことで傷ついて面倒くさい、鋭い文章が書けない、言いたいことが言えない、本気を出せない、チャレンジができない…

 

などなど、ありとあらゆるデメリットがあるから。

大体、悩みの根本は、「嫌われるのが怖い」というところに尽きる、と言ってもいいくらいです。

嫌われるのが怖いから、色んなところに逃避したくもなってしまう。

だから「嫌われる勇気」という本が売れたんでしょうね。

で、大体、嫌われるのが怖いときっていうのは、自分が自分を否定しているとき。

 

「これがバレたら、嫌われる」

 

と思っている。

自分の本来の姿がバレたら、本当は好きだということがバレたら、

本当はズボラで、まぬけで、面倒くさがり屋で、

本当はいやらしくて、ビビリで、自分のことばかりを考えることもあって…

そんな自分がバレたら、嫌われる。

そういう「想念」「固定観念」があります。

親や先生から与えられたものであることが多いものです。

かと言って、親や先生の「被害者」になるのはやめた方が良いでしょう。

被害者意識はやっかいで、被害者でいるうちは、

 

「俺がこうなのは俺のせいじゃなくて、あいつが悪い。だから俺は何もしなくていい」

 

と考え、自分を変えようとする意志を持てなくなるのです。

社会が悪い、とかもやめた方がいい。

環境が悪い、であれば、環境というのは自分で変えたり作れたりするものなので、それは良いでしょう。

本質は、

 

被害者意識で生きない

 

ということです。

被害者意識を持ったとき、人は行動できなくなるし、拗ねたり、ひがんだり、恨んだりするようになって、

ニーチェが言う「ルサンチマン」として生きることになる。

結果、人生は行き詰まります。

せっかくなので、ルサンチマンがどういうものか載せておきます。ウィキペディアより。抜粋。

 

『ルサンチマンとは、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことを言う。

ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」である。ルサンチマンを持つ人は非常に受け身で、無力で、フラストレーションを溜めた状態にある。

敵が悪の元凶とし、だから反対に自分は道徳的に優れていると主張する。「彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ」ということになる。』

 

行動するのではなく、心理的な復讐心によって、自分の心の穴を埋めようとするというところが特徴かもしれません。

そして、そうなると、自分が成功することに許可を出すこともできなくなります。

だって、ずっと上手くいっている人のことを心の中で非難してきたわけだから、

自分がそうなることは許可できないですよね。

そうなると、自分がしたいことができなかったりする。

でもそことは向き合えなくて、でも心は本当は求めるものを知っていて。

内側には、抑圧された思いが溜まっていきます。

溜まっているその抑圧された思いが、イライラになったり、攻撃性になったりするわけです。鬱っぽくなることもありますね。

 

……完全に、話が脱線しました。笑

被害者意識やルサンチマンを書きたくて書いたのではないのですが。

まあ、いいでしょう。

 

文章を読むことのメリットは何なのかというと、

自分のことを客観視できることです。

人は、自分を主観的にしか観れないがゆえに、自分が何をしているのか分からなくなることがあります。

結果、迷路に迷い込む。

 

客観視できたとき、私たちは「思い込み」や「想念」「勘違い」から解放されます。

解放されたとき、これからの人生の「選択」に影響が出るのです。

それまでは、選択の余地がありません。

なぜなら、思い込みと一体化した自分こそが「自分自身」だからです。

無意識レベルでやっていたことなので、そこに「選択」の余地はない。

しかし、思い込みからの解放、自分を客観視する姿勢を通して、

「選択」が可能になります。

そして、人生とは選択の連続です。

何を選択するかが人生を決めるわけです。

文章というものが人の選択に影響を与えるものである以上、

私は、文章が人を変える、人生を変えることもあると思っています。

だから、熱い思いで本を書いたりもするわけです。

ちょっと、今回は長くなりましたね。

若干中途半端ですが、このくらいにしておきます。

また次回の記事もお楽しみに。

 

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なりたい自分になっていいと、思えていますか?

 

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私たちが苦しむのは、「なりたい自分になっていい」と、自分で思えないから。

今日は、そんな話を。

あなたには実は、すでになりたい自分像があると思います。

ない、と思っている人は、あるけれど「自分にはなれない」と思っているだけかもしれません。

本当は、なりたい自分像はあるし、本当は、それを知っている。

だけど、見ないフリをしている。

もしくは、できないと最初から諦めている。

薄々、やりたいと思っていることや、どうしても意識がいってしまうこと。

そういうものがあるはずです。

 

私の場合、どうしても仕事に意識が向きます。

仕事というのは、洞察したり観察したり、言語化したりすることです。

どうしてそうなるのか?という理由が気になって、

その理由を自分で洞察して、言語化したくなる。

それは、誰に強制されるでもなく自然にやっています。

そして、それをすることで、人の悩みと向き合ったり、本を書いたりして、仕事になっている。

人の悩みの本質を見抜いて、それを分かりやすく伝えることが好きで、

何の努力もなく、普通に、毎日、自然にやっています。

ごく自然に当たり前にやっているので、誰かが頑張って努力したところで、負けることはないでしょう。

そもそも勝ち負けではありませんが。笑

自分の本質はやっぱりそこにあって、結果、コーチやカウンセラー、作家になりたいという気持ちが自然に生まれます。

私の場合、苦しくなってしまうのは、そんな自分に許可が出せないときです。

 

違う自分にならないといけないのではないか

 

と思ったときが、苦しい。

だから、思っていません。笑

自分はコーチやカウンセラーとしての才能があるし、作家としての才能もあると思うことにしています。

それは、自分がなりたいものになることを自分に許可している、ということです。

それでいい。

自分は自分でいい。

やりたいことをやっていいし、なりたい自分になっていい。

そう、勝手に自分に許可を出しているのです。

さて。

あなたはどうでしょうか?

自分が薄々やりたいと思っていること。

薄々なりたいと思っている自分像。

そういうものに許可を出していますか?

大体、薄々思っていることの中に自分の才能もあるものです。

だから、自分のやりたいことに許可を出し、どんどん自分にやらせてあげてくださいね。

それだけで、人生、マジで楽しくなりますよ。

 

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桜の木は、冬には咲けない

 

 

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昨日、車で少し離れたカフェに向かっていたときのこと。

道に、桜が咲いていました。

ああ、もうそんな季節かと思ったのですが、もう一つ思ったことがあります。

 

桜は、春に咲く。

冬には咲かない。

 

もし、冬に、桜の木に向かって、「お前、早く咲けよ!」とか、「もっと努力して冬に咲くようになれよ!」とか言ったら、

 

どうなるでしょうか。

そんなことは出来ません。

桜は春に咲くものだから。

さらに、桜の木からしたら、そうやって色々と言ってくる人はどう映るでしょう。

 

「この人は、何を言っているんだろう?

私、春に咲く感じの木なんですけど。

そういう役割なんですけど。」

 

と思うはず。

しれっと、しているはず。

別に傷つく必要はない。

とやかく言ってくる人の方がおかしいのだから。

でも、もしそこで、

「ああ、俺はダメな木だ…。俺ってダメ木。

春にしか咲けないなんて。終わった。

もっと努力して、夏にも秋にも冬にも咲けるようにならないと!!!」

と思ったとしても、結局、桜の木なので、無理です。

それはできません。

 

桜の木は、桜の木にしかなれないから。

 

さらに。

 

桜の木は、桜の木で在ることで人を喜ばせている。

 

桜の木が他の木になってしまったら、春にお花見をしたいおじいちゃんやおばあちゃんはどうしたらいいのでしょう。

 

「わしゃあ、毎年、この桜の木の下でするお花見を楽しみにしとったんじゃがのう。のう、ばあさん」

「ええ、ええ、そうですねえ、おじいさん」

 

となって、二人は途方に暮れてしまいます。

桜の木は桜の木で在ることで人を喜ばせていたのに、

桜の木であることを否定する誰かがいて、

それではダメだと言われて、

桜の木である自分を否定して、ダメだということにして、違う木になろうとした。

でも、結局、桜の木だから春にしか咲けない。

というか、桜の木だから春に咲けばいいんです。

 

私はよく、したいことをしようとか、自分に許可を出そうと言います。

それは、

桜の木は春に咲くものなのだから春に咲けばいいし、

自分が桜の木であることを受け入れ、そうである自分に許可を出せばいい。

そうすることで、ただ自分が自分であることで、勝手に人を喜ばせることになるのだから。

桜の木は、ただ咲く。

人を喜ばせようとして咲くのではなく、ただ、咲く。

ただ咲くだけで、人が喜んでくれる。

自分のしたいことをする。

自分に許可を出す。

そうすることで人それぞれの多様性が生まれ、世界が面白いものになります。

多様性を否定するような押しつけは、もういらないでしょう。

人それぞれ違っていいし、誰かの教えではなく、自分がしたいことをしたいようにすればいいと思います。

 

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過去をズルズルと引きずらないこと

 

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過去に生きない、っていう話を。

例えば、その日に何か良くないことがあったり、自分の選択を間違えたな、と思うようなことがあったとします。

人はよく、そういうことを引きずります。

ああ、あのときああしていれば

何であんなことを言ったんだ

どうしてあんなことをしたんだ…

と、ずっとズルズルと過去を引きずる。

引きずり続けてベッドに入り、悶々とする。笑

眠れない。

考えて考えて、そのときのことを思い出して、時には過ぎたことだけどムカついてムカついてしょうがなくなったり。

これは、過去に生きている状態で、過去にしたことはもう変えられないので、ずっと苦しみが続きます。

過去は過去です。

もうスパッと今のことを考えた方がいい。

過去に生きているときも、未来に生きているときも、人は最大限の能力を発揮することはできません。

先日、武道を30年以上かけて極めてきた方とお会いしてきました。

その方が言っていたことは、

武道では一対一ではなく、一対多で闘わないといけないときがある。

自分1人と、相手が10人のときもある。

そのとき、思考が過去や未来に行った途端に、倒されてしまう。

ごちゃごちゃ考えるのではなく、今この瞬間の相手の動きに対応して、今この瞬間、体を動かすことが大切なのだ。

ということでした。

武道においても、今この瞬間に生きるということが大事らしいのですが、

私たちが生きる上でも、過去をひきずったり、来てもいない未来を思い煩ったりして、

今この瞬間を楽しむことができない。今この瞬間に集中することができない。

それはなかなか苦しいことです。

いつも思考が過去と未来を行ったり来たり。

探せば、過去悔やんでいることなどいくらでも出てくるでしょう。

探せば、思い煩うべき未来もいくらでも出てくるでしょう。

過去は勝手に意味づけすればいいんだし、未来は勝手に悪いものを想像すればいいんだから。

過去をズルズルとひきずって、わざわざ自分を苦しめるでもなく。

勝手に想像した未来に怯えるでもなく。

今この瞬間、自分がすることに集中してみてくださいね。

では、今日はこのへんで。

 

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