カテゴリー別アーカイブ: 水滸伝

死に様から生き様を考える

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昔から言っていますが、私は北方謙三氏が書いている「水滸伝」が好きで、たまにその中のエピソードを紹介したりします。

で、今日もしちゃうわけですが、北方水滸伝では、とにかく人が死にます。

死に様を考えることは、生き様を考えることにつながるからなんだと思います。

で、今回は「王天六」という人物の話。話というか、セリフ。

彼は、とにかく走るのが速く、長い距離を走れます。馬よりも速い。

だから、書簡や秘密文書などを味方に届けたり、伝令を伝えたりという役割を果たしているんですね。

で、いつものように走って味方陣地に辿り着いたときのこと。

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「王天六殿は、いつもそのように走っているのですか?」

「走っている」

「走った先に、何かがあるのですか?」

おかしな質問だとは、王天六は言わなかった。ちょっと考える顔をして、にやりと笑った。

「俺の走って行く先には、いつも同志がいるよ」

「それだけですか?」

「俺は、寂しがり屋なのだ。一人で走っていると、寂しくて仕方がない。それで、できるだけ早く同志のところに行こうとする。そうなのだと、走りながら考えて分かったんだよ」

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この後、味方の部隊が同盟を結んでいたはずの国の軍に襲われます。

王天六は、そのことを味方に伝えるため、走ります。

しかし、走っているところを敵に発見されてしまい…

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後方から、声が聞こえた。矢。矢ではない別のものが、自分を追い越していく、と王天六は思った。

いや、矢だ。それも、突風のように、身を切っていく。

当たるものか。当たるわけがない。呟きながら、走った。

背中に、衝撃があった。前のめりに倒れそうになったが、踏ん張った。

そしてまた、駈けていた。

なんのことはない。ただ、駈ければいいのだ。駆けるのが、俺の仕事ではないか。

もう、矢は来なかった。矢など、もともと来ていない。

 

自分が、なんのために駈けているのか、ちょっとだけ、考えた。

つまらないことを、考えるな。

王天六だから、駈けている。それは、立派すぎるぐらいの、理由ではないか。

王天六だから、駈けている。ほかの誰が、こういうことを考えるのか。

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そしてついに、王天六は味方の陣地に辿り着きます。

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「止まれ。誰だ?」

「王天六殿」

声が、交錯していた。

ここは、梁山泊(自分の国)だ。そう思った。もう、札の名を思い出さなくていい。みんな、ここにいる。

しかし、会う前に、俺にはやらなければならないことがある。

足が、宙を蹴っている。どうしたのだ。身体が、持ち上げられている。

「王天六」

声。楊令(頭領)の顔。

楊令が、いた。なにを、喋ればいいのか。

「金軍(敵)。鼓城の南十里。商隊が、攻撃を受けている」

声になっただろうか。楊令の顔が近づいてくる。

「進発準備」

声。ちょっと間の向けた声は、耶律越里(味方)だ。

「鼓城の、南十里」

「わかった、王天六。そこで、商隊が襲われているのだな」

「鼓城、南十里」

そうだ。俺は、これを言いたかったのだ。

あとは、眠るだけでいい。いや、飯を食わなければならない。

「鼓城の南十里で、商隊が金軍に襲われているのだな。よしわかったぞ、王天六」

馬蹄の響き。嘶き。怒鳴る声。

みんな、静かにしろ。いや、早く出動しろ。俺が、走ってきたのだ。

なんのために走ってきたのか、王天六にはわからなくなった。楊令の顔。

「走ることが、人生だった」

楊令が、頷いているようだった。

不意に、自分は死ぬのかもしれない、と王天六は思った。

なにもかもが、鮮明に見えてきた。親父の顔。牢城に入っている間に、死んでしまった親父の顔。

「走ることが、俺の人生さ」

口から、なにか噴き出してきた。それでも、喋ることはできた。

「走って、走って、走り抜いて、死ぬ。俺の、夢さ」

また口からなにか噴き出してきた。

親父の顔は、はっきり見えている。困ったような顔だ。笑ってくれよ。俺は、博打はもうやめた。

親父の顔が、一瞬楊令の顔になった。

死のうとしているのだな、と王天六は思った。大したことではない。なあ、親父。親父だって、こわくはなかっただろう。

親父が笑った。笑ってくれた、と王天六は思った。(楊令伝第十二巻)

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人間、いかに生きるか。いかに死ぬか。読む度に、そんなことを考えます。

私自身、どうしてもそういうことを考えてしまう質なのでしょうね。

いつまでも自分の人生に真剣な青臭い部分、男臭い部分は消えないし、それが自分なのだと今は思います。

それでいい、と思っています。

北方さんは小説家ですが、こうやって自分の世界を表現していく作家という仕事は面白いものだなあ、と個人的には思います。

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何のために、強いのか?

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私は、北方謙三氏の「水滸伝」が大好きで、もう3周も読んでしまっています。全部で相当な分量になるのですが、好きなので読めるんですね。

水滸伝は、腐敗しきった政府を、108人の英雄が梁山泊に集まって反乱を起こす話。

ただ、北方水滸伝は相当北方氏独自のものになっています。

生き様、死に様、男のあり方などなど、考えさせられる、響くメッセージが山のようにあります。読んでいて、何度涙を流したか分かりません。

実はまた、1巻から読み返しています。

で、1巻にはこんなエピソードがあります。

史進という棒術の達人がいて、まだ若いのですが誰も敵うものがいませんでした。しかし、小さな村にいて、その強さを持て余し、鬱々としている状態。

そこに、盗賊の陳達という者が来て、村を通りたいと言います。不正、腐敗、人間の血を吸って生きる役人を倒すため。しかし、そのためには村を通らないといけない。村には何もしないから、通らせてくれ、と言うわけです。

史進はそれを許しません。村は通さない。そこで、決闘になり、史進はあっさり勝利。

しかし、捕らえた陳達に、賄賂で私腹を肥やし、年貢を誤摩化して民を痛めつける役人を守るのか、と言われる。

確かに結果として、自分が陳達を捕らえたことで得をしているのは、自分のことしか考えない役人たち。

捕らえられた陳達は、言います。

「守ったのではなくて、何なのだ。俺たちが、村の物に手をつけたか。腐った役人から身ぐるみを剥いでやるために、ただここを通ろうとしただけではないか。それをお前が邪魔をした。役人を守ったのではなくて、なにを守ったというのだ(北方謙三 水滸伝 第一巻p249 集英社文庫)」

「お前は確かに強い。しかし、何のためにそんなに強いのだ(同上)」

陳達の言葉に史進は考え込みます。

「強くなりたかった。そして、強くなった。なんのためだったのか。強くなったいま、それはわからなくなっている。

人並みに、憤りはあった。不満もあった。役所に納める年貢を集めるとき、政治がもっとよくなれば、と何度も考えた。収穫のかなりの部分を取り上げなければならないことで、父が心を痛めていたのは幼い頃から見ていたのだ。

自分は何をやったのだ、と史進は考えた。確かに、盗賊が村を通るのを、阻止した。しかし、それで得をしたのは誰なのか。襲われるはずだった、役人たちではないのか。

実戦で、棒を使ってみたかった。盗賊なら、都合のいい相手だったのだ。撃ち殺したところで、ただの盗賊。そういう気落ちが、心の底のどこかになかったか。武術だけの人間になるな。師匠の言葉が蘇る。どこかで、自分の武術を誇り、自慢しようとしさえ思っていたのではないか。

勝ったのに、残っているのは苦さだけだった。」

(北方謙三 水滸伝1巻p251 集英社文庫)

史進はこの後、反乱軍としてその比類ない強さを発揮し、圧倒的な活躍見せます。

そのきっかけになったのは、一つの問いかけ。

「なんのために、強いのか?」

一つの問いかけが、人生を変えることがあります。

そこで我に返って自分も考える。

何のために成功を目指すのか。自分が凄いというところを他人に見せつけるためか。周りから賞賛されるためか。

そのためなら何でもしていいのか。権力を手に入れるために悪事に手を染める人がいるが、何のためにその権力を手に入れるのか。

魂を売ってまで手に入れる強さとは何なんだ?

本当の強さとは、何だ?

私はそんな問いかけを自分にし続けて来ました。中学生のとき、吉川英治の三国志を全巻7周読んだことから、始まっていると思います。

そしてその問いかけが、自分を変えてきたな、と思うのです。

答えのない問い。周りから与えられるわけではない問い。

そんな問いを自分の中に持つことで、自分自身が作られていくのかもしれません。

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