なぜ、自分を否定してしまうのか?


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今日はちょっと「定義された世界」っていう話をしたいと思います。

私たちは、色々と定義されてしまった世界に生きてると思ってて、そうであるがゆえに色々と苦しむ。

常識とかもそうですけど、「こうするべき」というものがあるがゆえに、

そうでない自分を否定してしまうわけですよね。

これは自己愛の話にもつながってくると思うのですが、

「こうすべき」というものがあると、そこからズレた自分を責めてしまう。

で、大体その「こうすべき」って、誰か他人のフィルターを通して見たものを押し付けられているわけです。

最初は、やはり親でしょう。

親が期待する子供像。

そういった子供像を作ってしまうのは、親自身が劣等感に苦しんでいるケースが多いのですが、

その子供像を作り上げてしまうがゆえに、そうでない部分が子供にあると否定してしまうわけです。

そして、コントロールしようとする。

これは、学校の先生にも言えることでしょうし、

友達関係の中でも言えることでしょう。

「定義の押しつけ」がなされているわけです。

「良い悪い」についてもそうで、本当の意味で何が良いか悪いかなんて分からないのに、

勝手に定義された良い悪いまで押し付けられている。

よく「長所と短所を書きなさい」なんてのがありますが、

見方によっては全てが長所です。

自分の全てが長所だと思ってもいい。

でもそういう風に考えることができないのは、

長所と短所を分ける基準を、私たちは与えられてしまっているからです。

「こういうものは長所」「こういうものは短所」と決められている。

その決められた世界、つまりは「定義された世界」から自分を判断しているんです。

先に定義された世界があって、決められた基準があって、

そこから自分をジャッジしている。

だから、自己否定とか自己愛の欠如とかも起こるんじゃないかと思うんですね。

例えば、「学歴が高い人は偉い」という定義があると、そこからもしズレたら、自分を否定しますね。

で、何が何でも高い学歴を得なければと思う。強迫的になる。

しかし、本当は偉いかどうかではなく、そこで学びたいことが学べるか、そこに行くことで自分が生きたい人生を生きられるかが大事。

もし思っていた大学に行けなくても、そこで自分の生きたい人生を生きられるならそれでいいはず。

なのに、「自分の価値」と関連づけてしまうわけです。

他にも山ほどの「定義」が存在します。

そして、私たちはいつだってその定義と自分を照らし合わせては、自分をジャッジしてる。裁いている。

こんな自分はダメだ

こんな自分はおかしいんじゃないか

もっとちゃんとしないと

そうやって自己否定を始めるのです。

しかし、本当に大事なことは、

自分で定義を創ること、です。

もっと言えば、

定義から自分を判断するのではなく、

自分が定義を判断することです。

ここは、赤線です。

大事なので、もう一度言います。

定義から自分を判断するのではなく、自分が定義を判断する。

自由に生きている人は、それができている人。

縛られ、不自由で、誰かを妬み、自己愛が欠如し、他人への愛も欠如してしまうのは、

定義から自分を判断し、自分を否定しているからです。

色々言いたいことはありますが、今日はこのへんで。

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