嫌われるのが怖かった、アルバイト時代の話


 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

昔、塾で講師として働いていたとき、人出不足で、よく

「池田、この日来てくれないか?」と頼まれていました。

最初の頃は給料も欲しかったし、教えるのも楽しかったしで、ほとんど、

「ああ、いいですよ」

って言ってたんですよね。

で、バイトとしてはそれなりに多い、月12万とか毎月稼ぐような、そんな感じで。

楽しかったんで良かったのですが、だんだんと自分自身のことをしたくなってきて、駆り出されるのが嫌になってきたんです。

でも、校長は「池田、頼む」と言うわけですね。

頼まれるのは悪い気もしないし、嫌になってきていたのにも関わらず、断ることもできずズルズルと引き受けていました。

やってみたらまあ楽しいし給料ももらえるしで、いいかなとそのときは思っていたんです。

 

ただ、そこにあった根本の思いは、「嫌われたくない」という思いで、

自分が自分の意見を主張したり、自分の都合を通そうとすれば、相手に嫌われると思っていた。

相手は、自分の都合を通そうとして来ているのにね。

 

でも。

友人の一人は、

「いや、その日はキツいっすねー、大学の授業があって!すいません!」

と言って、彼女と遊んだりしていたんですよね。

そういう友人に対して、ネガティブな感情を持っていました。

「不真面目な奴だな!」みたいな。

まあ実際、その子は嘘ついているわけで、不真面目と言えば不真面目なんですよ。

でも、その子を「不真面目」と否定したかった私の心は、別の理由で否定しているわけです。

つまり、自分は自分を犠牲にして我慢して働いている。

その子は、我慢せずに自由に生きている。

自分は我慢しているのに。我慢していない。

もっと俺のように我慢しろよ!と。

私がその子を否定したくなったのは、

 

私がNoを言えず、断ることができず、我慢しながら、自分を犠牲にしながらやっていたから。

 

その子に原因があるのではなく、私に原因があったんです。

その子を否定したくなったその気持ちの原因は、自分が自分の思いを抑圧したことにあった。

でも、その子は実際に嘘をついているので、「正義」を振りかざして、その子を否定することができます。

 

つまり、自分に嘘をつける。

 

「正義の仮面」を被って、声高に正論をぶつけることができる。

「おい!嘘ついているんじゃない!真面目に働け!」みたいな。

ただ、それは自分と向き合えていない人のすることで、その発言をしたくなった自分自身を知っていれば、

そういうことにはならない。

自分自身を知るための存在として、その人が存在してくれていると考えることもできます。

その人を見なければ、私は私を知ることはできなかったかもしれません。

その人がそこにいて、行動して、それを見て、感情が動く。

その動いた感情から、私自身が本当はどうしたかったのかを知ることができたわけです。

嫌われるのが怖くて自分を犠牲にしている自分にも気づけた。

 

自分と向き合っていない人は、「おい!おまえ!このやろめ!」となって、相手を非難する。

自分と向き合える人は、「ありがとう、お前のおかげでまた一つ成長できた」となる。

 

もちろん、その子の不真面目さが良いか悪いか、これは賛否両論でしょう。

今回の話の要点はそこではなく、

 

自分に嘘をついたり、ごまかしたりしていないか

 

というところ。

自分に正直になって、自分の思いを知る勇気を持つことで、日々の選択が変わっていきます。

メルマガも好評なので、良ければ。

 

池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。